「ねえ、綺麗なところでしょう?」

 よく晴れた夏空の下、キラキラと輝く湖水を見ながら二人は並んで座っている。

 お互いの肩や足が触れてしまうくらい近いその距離に、先ほどからフェリクスの心臓はすっかり落ち着きをなくしてしまっていた。

 ミレーヌの提案で二人は森の中の湖に来ていた。

 ポニーは木につないで休ませ、ちょうど木立が途切れて湖水が一望できる見晴らしの良い場所に二人は腰を落ち着けたのだった。

「……わたしに会いに来てくれたの?」

 隣に座ったフェリクスの顔を覗き込むようにミレーヌが首を傾げた。

 ミレーヌを前にフェリクスは完全に緊張で固まっていた。

 大きく頷いて彼女の問いに答えると恐る恐る視線を隣に向けてみる。

 たちまち、大きな緑の瞳をまぶしそうに細め、じっとフェリクスの横顔を見つめているミレーヌと目があった。

 その瞬間、どうにも恥ずかしくなってしまい、フェリクスは急いで視線を逸らした。

 自分でも嫌になるくらい、無様な態度だと思った。

 ――何故だろう……いままではこんなこと絶対なかったのに。

 父であるアルノー伯爵に連れられて公式の場に出ても物怖じなどしないフェリクスだったが、こんな場面ではどう振舞ったらいいのか皆目見当もつかなかった。

 何か言わなければ……そう焦れば焦るほど、何を話したらいいか分からなくなる。

 一方のミレーヌは、目の前の湖を睨んだまま黙りこくっているフェリクスに気を悪くした様子は全くなかった。

「足の怪我は? もうだいぶ良くなったかしら」

 今は乗馬用のズボンに隠れている傷は、あれから日もたって随分よくなっていた。

「……あの時は、ありがとう。手当をしてもらって……」

 フェリクスは頷くと、小さな声でミレーヌに礼を言った。

「よかった。あれからちょっと心配してたのよ。傷のことだけじゃなく……」

 ミレーヌはほんの少し迷ったように言葉をきってから、改めてフェリクスの方を向いて続きを口にした。

「あの時、あなたが泣いていたように見えたから……」

 思ってもみなかった言葉を投げかけられて、思わずフェリクスはミレーヌを見た。

 深い緑色の瞳が真っすぐにフェリクスを見つめている。

 誓ってもいい。あの時彼女に涙は見せていない。それなのに。

 ――この瞳には見抜かれてしまったのか。

 父に疎まれている苦しみ、母にも顧みられない淋しさ……。

 長い間いく度も飲み込んできた涙を。押し込めてきた悲しみを。

 一生、他人には見破られない自信があった、弱さを隠す仮面をはぎ取られたような心地がした。

「……わたしの勘違いだったら、ごめんなさい」

 ゆっくりと、長い睫毛を伏せながら、ミレーヌが囁いた。

 差し出がましいことを言ってしまったと思っているのか、ミレーヌはそれ以上何も言わずにフェリクスから視線をそらして湖を見つめた。

 何となく気まずい雰囲気に胸が押しつぶされそうになる。――決してミレーヌの言葉に気を悪くしたわけではないのに。

 ――何て言ったらいいんだろう……こんな時。

 ミレーヌの横顔からふと視線を逸らすと緑の草の上――少し手を伸ばせば触れられそうな位置にミレーヌの白い手が置かれていた。

 言葉ではとても言えない。けれど何とか彼女に伝えたかった。

 フェリクスの心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。

 少しずつ、ほんの少しずつ自分の手を伸ばしてそっとミレーヌの指先に触れた。

 ミレーヌの肩がほんの少し揺れる。

 次の瞬間、温かい彼女の手がふわりとフェリクスの手に重ねられた。

 暗がりにやっと見つけた灯りのように、その温かさはじんわりとフェリクスを包み込んだ。