美鈴とフェリクスが食事を終える頃、朝方から吹いていた風がにわかに強さを増し始めた。

 見上げると、すっぽりと空を覆っている雲がまた一段と重さを増したように思える。

 雲が完全に太陽を隠してしまったせいで、曇り空の下世界全体が薄いグレーに覆われて色を失ったように見えた。

「これは……一雨くるかもしれない」

 刻一刻と暗さを増していく空を見上げて、フェリクスが呟いた。

 馬を飛ばせば、何とか本降りになる前に屋敷に辿り着けるかもしれないが、美鈴に無理をさせるのは気が進まない。

「少し先に、狩猟小屋があります。小さいけれど馬小屋も。……そこにひとまず向かいましょう」

 フェリクスが先導して二人は小屋へ向かったが、途中で風はさらに強まり、後を追うように大粒の雨が追ってきた。

「……っ、すごい風……!」

 容赦なく叩きつける風雨に、思わず悲鳴のような声を漏らした美鈴を勇気づけるようにフェリクスが後ろを振り返る。

「あと、少しです。頑張って!」

 やがて、木立の中に木を組んで作られた狩猟小屋が見えてきた。

 何とか小屋までたどり着くと、フェリクスはすぐに美鈴の冷たい手から手綱を奪い取る。

「あなたは、先に小屋に入って。布や毛布の備えはあるからそれを使ってください」

「……あ、ありがとう。フェリクス様も、急いで」

 冷たい雨に打たれた寒さに、かじかんだ身体を両手で抱きしめながら、美鈴は狩猟小屋へ入った。

 きちんと管理されているその小屋には、幸いなことに一通りの設備が整っていた。

 ……暖炉もある……薪も。

 ジャネットと菓子を焼いた時にオーブンに火を入れた要領で先ずは暖炉に火を入れた。

 乗馬用の上衣を脱ぎ、布で簡単に髪とズボンを拭くと、毛布を肩にかけて暖炉の前に手を差し伸べた。

 小さな椅子を持ってきてその上に上着をかけて暖炉の前に置いて乾かす。

 ほんの数分後、小屋に入ったフェリクスは暖炉に火が入っていることに驚いた。

 なんでも召使いに任せて、自らはおっとりと待っていてしかるべき令嬢が、自ら立ち働くことなど彼には想像もできなかったのだ。

「フェリクス様、すっかり濡れて……!」

 フェリクスの透き通った亜麻色の髪に水滴がいくつも光っている。

 雨にじっとりと濡れた上衣は色が濃くなっている。

「座って、暖炉の前に。風邪を引いてしまうわ」

 無我夢中で美鈴は布をフェリクスの頭にかぶせて、両手を伸ばして髪を拭く。

 大人しくされるがままのフェリクスは、美鈴の姿をじっと見つめたままだ。

 濡れた髪がひと筋白い頬に張りつき、暖炉の火をうつした瞳が燃えている。

 フェリクスの白い手が伸び、そっと美鈴の手に重ねられた。

 びくりと手を止めた美鈴の両手にはまだフェリクスの手が重ねられている。

 至近距離でお互いの瞳の中を覗き込んだまま、二人の時間は静止した。

「……ミレイ殿」

 沈黙を破ったのはフェリクスだった。

「私は、大丈夫……。あなたのほうこそ、きちんと乾かしたほうがいい」

 美鈴の手から布を抜き取るとさきほど美鈴がフェリクスにしたように頭にふんわりと布をかぶせる。

 打ち付ける雨は激しさを増し、風が窓を小刻みに揺らす。風と雨音、それに薪の燃えるパチパチという音が沈黙を埋めあわせてくれている。

 互いに暖炉に向かって黙ったままだったけれど、それが一向に苦にならない。むしろ、互いの距離がどんどん縮まっていくような気がする。

 ――フェリクスも、そんな風に感じているのだろうか?

 ちらりと彼の方に視線を移すとちょうどフェリクスと目が合ってしまい、美鈴は急いで顔を伏せた。

「……やっぱり、似ている」

 ポツリとフェリクスが呟いた言葉が、水面に広がる波紋のように美鈴の胸をざわつかせた。

「……フェリクス様?」

 顔をあげると、フェリクスの長い睫毛に覆われたブルーの瞳が美鈴をひたととらえていた。

「……少し、思い出話をしてもいいでしょうか? 昔、あなたによく似た少女に出会った時のことを」