フェリクス、ジュリアンと偶然再会してから数日が経った。

 湖畔で二人に出会ったことをルクリュ子爵に話すと、彼はさもありなんといった風情で頷いた。

 ヴァンタール子爵家とルクリュ子爵家の領地は隣接しており、両家の関係も良好でジュリアンの両親とルクリュ夫妻の付き合いも長いものであるという。

「幼い頃から、あの二人……フェリクスとジュリアンは毎夏ヴァンタール家の領地で夏を過ごしていたよ」

 午後のコーヒーをゆっくりと飲み干しながら、懐かし気にルクリュ子爵は美鈴にそう語った。

「私たちの娘……ミレーヌはいつの間にかフェリクスと仲良くなってね。よく一緒に遊んでいたものだが……」

 遠い昔に想いを馳せるように、穏やかな表情の子爵はすっと目を細めた。

「そうだったんですか……」

 思い返せば湖畔で会った時、パリスイでの華麗な装いに比べて二人ともすっかり寛いだいで立ちで、この土地に慣れている様子だった。

 あれ以来、乗馬の稽古で湖の近くまで行くこともあったけれど、二人の姿を見かけることはなかった。

 貴族階級がこぞって旅に出る季節柄、ヴァカンスの最中に同じようにパリスイから避暑に来ている顔見知りに会うなどということはどこでも起こり得る。

 偶然の再会による驚きも、田舎で穏やかな日常を送るうちに次第に薄れていってしまうことだろう――。

 美鈴はてっきりそう思っていた。

 だから、偶然の再会から一週間程経った頃、思わぬ来客が屋敷を訪ねた時――心底驚いてしまったのだった。

 馬術の練習を終えて、庭に設えたテーブルで紅茶を楽しんでいたある午後。

 ジャネットに案内されて背の高い青年が彼女の後を優雅に歩いてきたとき、意外過ぎて一瞬誰かわからなかった。

「お久しぶりです、ミレイ嬢」

 そう言って人懐こい笑顔を浮かべたのは、ジュリアン・ド・ヴァンタール……栗色の髪が陽に透けて柔らかく輝いている。

「使いも遣らず、急な訪問……お許しください」

「いえ、そんなことは……どうぞ、座ってください。ジャネット、ジュリアン様にお茶を差し上げて」

 先日会った時よりも、ややかしこまった服装――濃緑の上衣を羽織ったジュリアンは「それでは、お言葉に甘えて」と言うと美鈴の向かいの椅子に腰かけた。

「……素敵なお屋敷ですね。こちらにはいつまでご滞在に?」

「あと、二週間ほどはこちらにいる予定です。ジュリアン様は?」

 当り障りのない会話をしながら、美鈴はジュリアンの訪問の理由について考えを巡らせてみたが、思い当たるような用件は全くない。

「紅茶、美味しい……綺麗な輪ができてる」

 紅茶を淹れてくれたジャネットを仰ぎ見て、ジュリアンがにっこりと笑う。どこからどう見ても育ちのよい貴族の好青年だ。

「僕たちは……フェリクスと僕も、しばらくはこちらに滞在する予定です」

 美鈴の質問に答えてから、ジュリアンは本題に入った。

「それで、週末の『花まつり』にぜひ、お誘いしたくて。直接おうかがいに来たというわけです」

「『花まつり』……?」

「ええ、この花……この辺りが名産なのですが」

 ジュリアンが美鈴の前に差し出したのは、この地方でよく見かける紫色のラベンダーの束を濃い紫のリボンで結んだ花束だった。

「来週、近くの村でこの花の収穫祭があるんです」

 緑の細い茎に、穂のような形に紫色のつぼみと薄紫の花をたくさんつけた可憐な花だ。

 この辺り一帯が、甘く爽やかな香りで香料にも利用されるこの花の産地であることは子爵から聞いて美鈴も知っていた。

「一緒に見物しに行きませんか? ……僕たちと」

 花束を渡しながらジュリアンは美鈴の瞳をじっと見つめてそう言った。

「貴女が来てくだされば……きっと彼――フェリクスも喜ぶと思います」

 囁くようにそう言ってから、ジュリアンは「では」と立ち上がった。

「お返事、楽しみにしていますね!」

 美鈴が断るとは思ってもいないらしい。

 午後のやわらかい日差しの中、爽やかな笑顔の余韻と花の香りを残して去っていくジュリアンの背中を美鈴はただ目を瞠って見送っていた。