* * *

 陽空が通っている居酒屋の席につくと、陽空は条国の言葉で、「いつもの」と頼んだ。
 その口調は流暢で、発音も完璧だった。

「お前、結構上達したな」
 僕が感心を込めて言うと、陽空はへへっと笑って得意顔をした。

「まあな。俺には秘密の特訓があるからよ」
「へえ。どうせ、女だろ」

 図星だったのか、陽空は目を丸くした。

「すげえ。なんで分かったんだよ」
「いや、予想はつくだろ」
 僕は苦笑を送る。

「まあ、言葉を覚えるには現地に恋人を作るってのが一番らしいからな」
「確かに。それはそうかもね」
 僕が同意すると、陽空は意外そうに言った。

「マジか。お前が言うか」
「どういう意味だよ」
「お前、俺からしたらちょっと堅物っぽく見えてたからさぁ」
「僕からしたら、陽空は軽すぎだけどね」
「言うねぇ」

 陽空は嬉しそうに笑って、酒が注がれてきていたコップを軽く掲げた。小さい陶器のコップは猪口というらしい。
 僕も猪口を持って、乾杯をする。キンッと甲高い音が鳴って、二人同時に口をつけた。

「昔読んだ本に書いてあったんだよ」
「なんだ。んなことか」
 陽空は何故か残念そうな顔をして猪口を置く。

「お前も恋人の一人や二人、作ったらどうだよ。レテラ。お前だって、お年頃ってやつだろ?」
「余計な御世話だね。僕は恋人を作るより色んな知識や物事を知りたいんだ」

 こっちにくる前も、両親に散々言われてた。
 あの令嬢はどうだとか進められたり、庶民との恋愛はしても良いけど結婚はダメだぞ、とか。僕は微塵もそんなつもりないのに。

「お前ってもしかして、童貞か?」
 陽空は若干嘲笑まじりの笑みを浮かべた。
「……だったらなんだよ」
「まぁじかぁ!」

 不満顔の僕を見て、陽空はにんまりと頬を緩めた。
 絶対バカにしてるだろ。むかつく。

「なんだよ。童貞じゃなかったら偉いのかよ。大体僕はまだ十八だぞ」
「いやいや。十八っつったら結婚してるやつの一人や二人はいるだろ」
「うるさいなぁ」

 僕は軽く陽空の脚に自分の脚をぶつける。
 口では鬱陶しがったけど、水柳国でもそうなんだと関心が湧く。
 ルクゥ国の男子は、十八から二十五歳くらいが結婚適齢期と呼ばれるものだった。ちなみに女性は十五歳から二十歳までがそうだ。
 陽空は脚を軽く撫でながら、

「でもよ、気になってんじゃねぇの? ヒナタちゃんのこと」
「は?」
 僕はあんぐりと口を開けた。

「だってお前、なんかヒナタちゃんのこと意識してんじゃん」
「ああ……」
 そうか、コイツはあの一件を知らないから。

「陽空」
 僕はなるべく真剣な声音を出して、陽空を見据えた。

「それはない」

 きっぱりとした僕の否定に、今度は陽空が口をあんぐりと開けた。

「確かに、ヒナタ嬢にはすごく興味を惹かれるし、とてもきれいな人だと思う。でも、僕が彼女を好きになる可能性はゼロだよ」
「なんで?」
 あんなに可愛いのに。と、陽空は理解しがたい様子で眉を顰める。

「それは……怖いからだよ」
「あん? 怖い?」
「怖いだろ」

 なにせ僕は、自業自得とはいえ殺されかかったんだからな。

「じゃあ、どんなタイプが好きなんだよ」

 陽空はするりと話題を変えた。
 僕は意外な心地で陽空を見る。
 もっといじられると思った。
 多分、突っ込んでこなかったってことは、陽空にも思い当たるふしはあったんだろう。

「う~ん……。僕、恋愛感情として人に興味持ったことないから」
「マジかよ」

 陽空はあからさまに引いた顔した。
(そんなに引かなくても良いだろ)
 僕は内心でちょっとすねながらも、すましてみせた。

「その人がどんな人生を送ってここまできたのかとか、そういうことには物凄く興味が湧くんだけど、誰か一人を好きになったとかいうことはないんだよ。別にそれが悪いことだとは思ってないしね」
「まあ、確かに悪い事ではないわな」
「だろ?」

 僕が同意を求めると、陽空はうんと頷いた。

「でもさ、じゃあ何でお前、ここのところ元気なかったの?」
「え?」
「てっきりヒナタちゃんに振られたんかなぁとか思ってたんだけど、俺」
「そんなわけないだろ」

 僕が苦笑を浮かべると、陽空はじゃあどうしてなんだよと促すような顔つきをした。

「この前、ヒナタ嬢に突っ込んだこと聞いて殺されかかったんだよ。それで、気まずさとか申し訳なさとかがあってさ。本当は研究所に入り浸ったりとか、燗海さんとかアイシャさんとかにも祖国ではどんな暮らしだったのかとか聞いたりしたいんだけど、ちょっと踏み出せなくなっちゃったんだよな」
「ああ、なるほどな」

 僕が愚痴をのべると、陽空は相槌を打った。
 酒を一気に飲み込んで、僕に向かい合う。その瞬間、僕の心臓は小さく高鳴った。陽空の瞳が真剣だったからだ。
 一瞬、魅入ってしまった。

「まあ、その気持ちは分かるわな。でも、それでお前が萎縮すんのは違うんじゃないか。相手がいるなら、そいつに対する配慮ってのは必要だけど。お前が好きなことを我慢する必要はねぇだろ。微塵もな」
「……うん」

 僕は気の抜けた相槌を送った。
 ちゃらんぽらんだと思ってた陽空がそんなことを言うなんて、すごく意外だったんだ。それに、にやついてない陽空を見たのも初めてだった。

「お前さぁ、初めて逢った時、めっちゃ目輝いてて子供みたいだったんだぜ」
「子供って、なんだよ」

 僕は出来るだけ険のある感じで言ったつもりだったけど、照れくささと嬉しさで思うように声にならなかった。
 陽空がなんで今日僕をここに連れてきたのか、解ってしまったから。

「お前はそういうのが似合うぜ。レテラ」

 こいつは、本当に……。
 飽きずに女口説いてるだけあるよ。この、人たらし。

(んなこと言って、恥ずかしくないのかよ)

 僕は心の中でわざと毒づいた。
 じゃなきゃ、僕は顔を上げれない。上昇してくる赤面は、毒づく事で低下した。

「……うるせっ」

 僕は低声で言って、陽空の肩を小突いた。
 陽空は声を上げて笑って、店員に酒を注文した。
 僕は小さな声で、「ありがとう」と呟いたけれど、陽空に聞こえたかどうかは分からない。