あかるを落ち込ませる原因は、自分自身やマルだけじゃない。
 一ヶ月ほど前から、青説殿下に成果をせっつかれているんだ。

 あかる自身にこれ見よがしに言ってるわけじゃないんだけど、兄弟で言い合ってたり、それとなくあかるに訊ねたりしていて、ついに五日ほど前に研究室に乗り込まれていた。

 最初は冷静に話していた殿下も、王があかるを庇うためなのか、殿下の目に王の態度が暢気に映ったのか、最後は大喧嘩になってたっけ。って言っても王はあくまでも冷静で、癇癪を起こしたのは殿下の方だったけど。

 僕はあかるに微笑みかける王を見つめた。
 少しだけため息が洩れる。
 殿下の御気持ちも分からないではない。

 聖女としてあかるが来てから、二年半の時が経っている。言語の問題があったのはしょうがないし、殿下もそれを分かってはいるだろう。だけど、他国からの干渉をいなさなきゃいけない身からすれば、成果を焦ってもしかたないことだ。

 僕も祖国から、計画はどうなっているんだと詰問状が届いている。母国の現状を考えればルクゥ国を責めることは僕には出来ない。もう少し待ってくれと送るしかない。
 というのも、二年半前よりも人心は荒れている。

 魔竜はまた人類以外の動物を攻撃していた。どうやら、村を襲ったのはやつにとっては想定外だったようだ。魔竜は執拗に、狙った動物が絶滅するまで殺して回っている。

 魔竜の脅威は待ってはくれないし、いつ、人類がやつの標的になるのかも分からない。
 そんな状態が二年以上も続いて、人心が荒まないわけがないんだ。

 国民を抑え、宥めることにバルト王も官吏も必死だろう。
 それはルクゥ国だけじゃない。各国の苛立ちや不安が、条国の外交を取り仕切っておられる殿下に向けられているのは、誰から見ても明らかだ。

 殿下の精神的圧迫は、僕には推し量れないものあるだろう。
 僕は再び紅説王とあかるに意識を移して、片眉を釣り上げた。

「やっぱ、付き合ってんのかな。あの二人」

 王は優しく、熱のこもった目であかるを見る。あかるは、その瞳に応えるように微笑みかける。
 僕はすごく複雑な気分に陥った。

 殿下からすれば、国や世界の一大事に女を庇ってる場合じゃないだろ。俺の苦労を考えろ――って、思って当然だろうし、そのイラつく気持ちに同情したい気分にもなるけれど、王を思えば、こんな風に穏やかな心でいられる相手に出会えたことを喜んであげたい気にもなる。

 紅説王はずっと人知れず、一人で苦労なさってきた方だから。
 癒やしになる存在がいることが、僕は素直に嬉しい。

「嬉しいんだけど……」

 ぽつりと出てしまった独り言が、思ったよりも重々しい声音だった。
 あかるは王を見つめながら、不意に髪を耳にかけた。その横顔が、晃と重なる。
 胸が痛い。
 全然違う姿形なのに、あかるの中には晃がいる。

「バカだな、僕は」

 ふと自嘲が洩れてしまった。
 黒い感情が渦を巻く。

「王に嫉妬とか、ありえないから」

 嬉しいんだ。
 本当なんだ。
 だけど……晃が、紅説王にとられてしまったみたいで、なんでだろう。

「僕、ちょっと席外しますね」

 明るく言って、立ち上がった。王が分かったと言ってあかるに向き直る。僕は、秘密通路に向った。
 暗く狭い通路の中で、堪えきれずに涙が零れた。

「バカだな、僕。晃にはもうふられてるだろ」

 冗談めいて自嘲したら、気分は少しだけ晴れた。
 涙は、拭ったらすぐに止まった。
 晃に逢いたいな――ふと湧いた感傷は、見ないふりして蓋をした。