「城内を歩き回られ、研究が洩れたらなんとする。兄上はまったくもって危機管理がない。情け深いのも大概にしていただかなければ」

 殿下は気持ちを切り替えるように息を吐くと、くるりと踵を返して歩き出した。
 王のお優しい心根も、殿下の言い分も分かる。政治家や王族として、殿下は正しいし、王は人として正しい。

(この二人がうまく噛み合うときがくれば良いんだけど……)

 僕は、なんだか切ない気持ちに駆られた。
 しばらく殿下を見ていると、少し離れたところで殿下に声をかける者があった。ムガイだ。

 ムガイは、小さくお辞儀をしながら殿下に何かを話しかけた。距離が出来てしまって聞き取れない。僕が近づこうとしたときだった。

「レテラ」
「え?」

 聞き馴染みのない声に呼ばれて、僕は振り返った。ミシアン将軍が僕の間近に立っていた。一メートルも離れてない距離だ。
 いつの間に近づいてきたんだろう。全然気がつかなかった。

「お久しぶりです。ミシアン将軍」
「久しぶり。キミの活躍は聞いてるよ」
「え?」
 なんのことだ?

「ルクゥ国の生贄となる者は、なるべく一般市民が選ばれることがないように掛け合ってたんだってね。立派なことだ」
「ああ」
 腑に落ちて、僕は顎を引いた。
「いえ。褒められることではないですよ。そう言っていただけるのは嬉しいですが」

 僕はこの半年の間にバルト王に進言し、生贄となる者を集める人事部に掛け合って、資料を拝見させていただいたりしていた。

「資料を見て、なるべく罪状が重い者がなるように指摘したりしただけです。ルクゥ国では軽罪でも死罪になる者が多いですから」
「それだって、膨大な量だろう。何千人という候補者を確認したんだろう?」
「まあ。でも、いつも書面に向っているので大したことではありません」

 ミシアン将軍は感心するように、「そうか」と言って、
「どうしてそうしたんだ?」
 と訊いた。

「そうですね……。どうしてでしょう?」
 僕は自問するように呟く。

「多分、どうしても出さなければならない犠牲ならば、罪のない者よりは――という、驕りでしょうか」
「謙遜するね」
 
 ミシアン将軍は柔らかく笑った。その言い方に嫌味は微塵も感じない。

「いえ。謙遜ではなく、本当のことです。多分、以前の僕だったら蚊帳の外で、対岸の火事を楽しんで書き記していたでしょう。でも、それは本当は卑怯なことだから。危険な場所でも自らが行って、それで書いてこそ意味があるから。今回の事もそういう理由です。決して偉いと褒められるようなことではないんです。自分のためですから」

 ミシアン将軍は驚いたように、少しだけ目を丸くした。

「自分のためだなんて、きっぱり言えてしまえるんだね」
 将軍は苦笑を漏らして、すっと右手を差し出した。

「では、これからも頑張ってくれ。レテラ」
「はい。ありがとうございます」

 僕は差し出された右手を握った。