4月9日。高校の入学式に電車で向かう途中。
 樋山(ひやま)秀次(しゅうじ)は一目惚れをした。
 いや、正確には二目惚れだろうか。
 
 それは秀次にとって、新しい環境への期待と不安が入り混じる胸中が一気にピンク色に染まるほどの衝撃だった。

 今まで色恋沙汰に興味が――というより縁が無かった秀次が高校受験をそれなりに頑張って、合格を掴み取った第1志望は男子校。
 女の子とラブラブイチャイチャするのは大学生になってからと既に諦めモードだった秀次は、その日一瞬で恋に落ちてしまった。
 
「ご乗車ありがとうございました。虹橋ー虹橋ー。お出口は左側です」

 秀次が乗り換えのために降りる駅の1つ手前で、その女の子は乗車してきた。

 同じ号車に乗り合わせた人たちが性別問わず、思わずその子に目を奪われる。
 それは、その子が着ているのが全国屈指の偏差値を誇る超絶有名なお嬢様学校、麗秀学院の制服だから……という理由ではない。
 
 本来なら真っ先に制服に目がいくだろう。
 麗秀学院と言えば、社長令嬢や財閥の娘など、生まれつき選ばれた人間にしか入学が許されない、幼稚舎から小中高まで一貫の筋金入りのお嬢様学校だ。
 本来ならこんな公共の電車で通学するような身分ではない。広々としたリムジンや外国産の高級車、噂では自家用ヘリコプターで通っている人までいると聞く。
 文字通り住んでいる世界が違うのだ。

 しかし、乗客の目線は制服の上。
 その女の子の顔に向けられている。

 絹の様にサラサラとした艶のあるダークブロンドの長い髪。透明感あふれる雪の様に白い肌。愛嬌のある二重の大きな目に、筋の通った端正な鼻と控えめな赤のルージュが淡く光沢を放つ薄い唇。
 どうやら外国人の血が流れているらしく、所々に日本人離れした特徴を持ち、その最たる例が見るものを引き付ける澄んだ碧い瞳だった。

 東洋人と西洋人の良いところを合わせ持った余りに美しく、そして可愛い女の子。

 しかし、まだ秀次はその女の子に対して恋愛感情を抱いたわけではなかった。

 画面の向こう側の芸能人を眺める感覚。
 付き合いたい、結婚したいと思うけど、実現するとは微塵も思っていない。
 そういうのは同じステージに立っているイケメン俳優やアイドルにしか許されない。

 秀次にとって、虹橋駅で乗車してきた有名お嬢様学校の制服に身を包む超絶美少女はそんな存在だった。
 絶対に届かない、雲の遥か上の存在。
 同じ空間にいるのに、どこか別の次元にいるような。

 だから秀次はその女の子が自分の目の前の席に座っても特に何も思わなかった。
 人の顔をジロジロと見るのは失礼にあたることなど、一般的な常識を持つ者なら誰しも知っている。
 通学カバンから本を取り出して読書を始めた碧眼の女の子から自分のスマホへと視線を移し、秀次は入学式に一緒に出席する約束をしている親友にメッセージを送った。

『今、目の前に10000年に1人の美少女がいる』
『ハードル上げすぎ。あのハシカンですら1000年に1人だぞ』
『マジで可愛いんだって。それこそ日本の芸能人なんて比じゃないレベル』
『もう1度見てみ? 女って光とか角度で別人みたいに印象変わるから。それに最近はブスでもメイクやら加工すれば可愛くなれるし、一目見ただけじゃ何とでも言えるって』
『わかった、もう一回見てみる』

 全世界の女性を敵に回すようなことを言い出す親友に呆れながら、秀次は納得する面もあった。

(確かに10000年は言い過ぎだったかな……)

 実際、秀次はここ最近女の子なら誰でも2割増しで可愛く見えるようになっている。
 それはこれから3年間、異性が1人もいない男だけの生活が待っていることへの憂鬱の影響が大きい。
 
 今回もそのパターンで、改めて見ると実はそこまで……なんてことは十分ある。

 真実を確かめるため秀次はゆっくりと頭を上げて、なるべく自然な動きで真正面に視線を向けた……のと同時に、目の前に座る女の子が文庫本から目を離して同じく正面を向いた。

 当然、真正面に座る2人が前を向くとばっちり目が合うことになる。
 そして何を思ったのか、10000年に1人の美少女は軽く首を傾げてニコッ、と秀次に薄く微笑みかけてきた。

(カワイイ……)

 その瞬間だった。
 優しく、柔らかく、そして朗らかな笑顔に秀次は生まれて始めて恋に落ちた。
  
「まもなく桐山町ー桐山町ー。お出口は左側です」

 
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(かける)、俺が間違ってた』
『ほらな、そうでもなかっただろ?』
『そうじゃない』
『そうじゃない?』

 秀次は乗り換えのために降りた駅のホームを歩きながら、胸が高鳴るのを感じていた。
 この胸の鼓動が高校の入学式、新たな環境へ飛び込む期待と不安に対してではないことはわかっている。
 
『あの子は1億年に1人の超絶美少女だわ』

 秀次がその女の子と同じ空間にいたのは、僅か1駅分の電車内――たった5分の間だけ。
 
 それでも今まで色恋沙汰とは無縁だったピュアな男の子が恋に落ちるには十分すぎる時間だった。