……………え?

「あ、あの……」

聞き間違いかな。
貴浩部長に『まひろ』って名前で呼ばれた気がしたけど。

「どうかした?まひろさん」

や、やっぱり!
突然なんで驚いて言葉が出てこない。

「龍崎さん……」

ポカンとしてる私の代わりに、佐伯主任が何か言いかけた。
それを遮るかのように喋りだしたのは、貴浩部長。

「だって、俺のこと『貴浩部長』っていつも下の名前で呼んでくれてるからさ。俺も『蘭さん』より『まひろさん』と呼んだ方がしっくり来るかなと思ったんだけど、どう?」

ちょっと困るかも。
だけど、この人にはどう言えば通じるのか。
ケーキ談義では和やかだったけど、空気が完全に貴浩部長に支配されている今は、上手く返せる自信がない。

「龍崎さん、この会社『RYUZAKI工房』ですよね。龍崎一族だから当然『龍崎さん』だらけ。だから下の名前で呼ぶのは単なる呼び分けに決まってるじゃないですか。他意はありませんよ。シャイニングに『蘭』は今のところ1人しかいませんから、どうぞ名字で呼んでやってください」

私が言いたかったことを、空気に圧されることなく言いきってくれた主任。

「そうかな。でも佐伯さんからは下の名前で呼ばれたことないような気がするけど」

そう言えばいつも主任は『龍崎さん』と呼んでいる。
私たちが関わるのは貴浩部長だけだから、名字で呼んでも特に差し支えないのかも知れないけど。

「じゃあこうしよう。佐伯さんが俺を『貴浩』と呼んでくれるなら、俺は彼女を『蘭さん』と呼んであげるよ。どうする?」

……なんでこうなるのか?
私は父と同じ『蘭』の名字を嫌っているから、『蘭さん』と呼ばれるのも実はあまり好きではない。
だけど、貴浩部長に『まひろ』と呼ばれるのが嬉しいかと聞かれれば、間違いなくNOだ。

すがるような目を主任に向けると、困ったような目をしていた。