『八重樫くんは、さくらのことが好きだよ』

 昼に聞いた優の言葉が、脳裏で幾度も反芻する。自分が、ここまで相手の気持ちに疎い人間だとは思わなかった。

 煉の気持ちだって確かなことは何も解らない。それなのに、八重樫くんの気持ちまで聞かされた私は、一体どうすればいいのだろう。

 退勤し家路を辿る最中、さくらはただひたすらに苦悩していた。何気なく視線を上げると、すでに自宅マンションの扉の前だった。扉を開ければ煉が待っている。ドアノブに触れる一瞬、躊躇う。

 けれど、此処で永遠に悩んでいても何も変わらない。

 ──今はどうすることも出来ない。

 さくらは一度、深呼吸をすると扉を開けた。

「ただいま……」

「帰ったか。今日は鶏肉が特売でな、さくらの好きな唐揚げを作ったんだが…………何か有ったのか?」

 煉はリビングに現れたさくらの様子が何時もとは少し違うことに気付き、咄嗟に腕を掴み引き留める。だが、さくらは目線を落とし煉と目線を合わせようとしない。

「ううん、何もないよ」

「なら、どうしてそんな顔をしている。会社で何か有ったんだろう。言え」

「…………腕、痛い。離して」

「俺には言えないことなのか」

 さくらの細い腕を掴む煉の力が徐々に強まっていく。振りほどこうにも、腕に込められた力が強く抵抗も虚しく終わる。

「本当に何でもないの。お願いだから、放っておいて」

「そんな顔をされて黙って放っておける程、俺は無関心じゃない」

 どうして。どうして、こんな時に煉は平気で、そんなことを言えるの?

 そんなことを言われたら、ほんの少しでも私に気があるのかもしれないって勘違いをしてしまうじゃない。

 きっと、そんな事はないのに。

「せっかくのご飯が冷めちゃうね」