男はトイレとは反対側の方の公園のすみで、茂みに隠れるようにして、野良猫だろう漆黒の猫に餌を与えていた。
さくらの存在に気づいていないのか、男は優しげに猫を見つめている。
暗がりでよく見えないはずなのに、その横顔がとても儚げで、寂しそうに見えてしまったのは、さくらの気のせいなのか。
何故か邪魔をしてはいけないような気がして、公園の出口に足を向けた。
静かにその場から離れようとしたとき、左手に持っていたコンビニ袋がガサリと音を立ててしまう。
その小さな音に気がついた男は、ようやく顔を上げて、さくらの方へと視線を向ける。
「お前……」
背中の方から聞こえる男の声にびくりとして、さくらは立ち止まった。
誰にだって見られたくないことは有る。
それは、この男だって同じことなのではないのか。それを私はずかずかと無断で踏み荒らしているのではないのか。そんな気がして急に居たたまれなくなった。
「ごめんなさい……。驚かせるつもりはなかったんですけど……」
男は然程驚きもせず、さくらを一瞥しただけで唐突な質問をする。
「お前、猫は嫌いか」
「え? 好きですけど……」
「なら、この猫を飼えないか」
「それは……無理です。私のマンション、ペット不可なので」
さくらの返答を聞いた男は、猫缶を完食して満足げに喉を鳴らしている猫を見下ろしながら呟く。
「やはり、この女も駄目らしい。すまないな。連れて行けそうにもない」
その言葉は猫に向けられていた。
「あの、連れて行くって何処にですか? もしかして、この猫怪我とか……」
「いや、怪我はしていないはずだ。ただ、俺がこの場を離れたら、こいつはひとりで生きていけるか不安になっただけだ」
「離れる?」
いまいち男の話の内容について行けず、さくらは頭を傾げる。野良猫ならば単独で生きていくことには、慣れているのではないだろうか。
実際は私は猫ではないので、その苦労は解らないが。
「この街を離れることにした。今日中にここから抜ける予定だったんだが、この猫が気になってな」
急な話にさくらは気が動転した。そして何故か瞬間的に思ってしまったのは、この男ともう会えなくなってしまうのではという懸念だった。
「じ、地元に帰る……とかですか?」
「そうじゃない。何処に向かうかもまだ未定だ」
「なら──」
さくらが突発的に言い放った言葉に、男はため息を溢すしかなかった。



