「ちょっと!! 何してるんですか!!」
さくらは開口一番に声を荒げた。その声に男は反応し、暗がりの中で顔を上げる。その姿は全身冷たい川の水に濡れていた。
「なんだ。またお前か」
男はさくらの怒声にも驚かず、相変わらず飄々とした態度だった。
「何って……。あなた馬鹿なんですか? この前も凍死しますよって言ったじゃないですか!」
「…………猫がいたんだ。俺が助けなければ、この猫は危うく溺れ死んでしまう所だったんだぞ」
さくらが睇視《ていし》すると、その男の両手には、水分を含みふやけた段ボール箱が抱えられていた。
にゃー。と猫特有の可愛らしい鳴き声が、段ボール箱の中から聞こえてくる。
さくらは男に駆け寄ると、バッグに忍ばせていたタオルハンカチを差し出す。
「何もないよりはマシでしょう。使って下さい」
「…………」
だが、男はさくらが差し出したタオルハンカチを不思議そうに眺めていた。その間にも、濡れた髪の毛からは水滴がポタポタと暗闇に落ちていく。
「悪いが猫の様子を見て貰えないか? 幸い溺れてはいなかったが、猫は濡れるのを酷く嫌がる」
「分かりました。ってあれ? 仔猫じゃないんですね。私てっきり仔猫が流されたのかと……」
「たぶん、誰かの悪い悪戯だろう。でなければ、猫が進んでこんな場所に迷いこむはずはないからな」
そう言い、男は抱えていた段ボール箱を静かに地面に下ろす。暗闇に溶けるような漆黒の成猫は、段ボール箱が地面に置かれた途端、勢いよく飛び跳ね、そのまま闇夜へと姿をくらましてしまった。



