ふと見てみれば、柵の向こうには誰かが居た。
 すぐにわかった。シャイだ。ロイヒテン様ではなく、髪を下ろして黒いギャルソンエプロンをした『シャイ』。彼がサシャに向かって手を差し伸べていた。
「サシャちゃんなら大丈夫」
 笑みを浮かべている彼が、言った。
「だから、おいで」
 ああ、シャイさんがそう言ってくれるなら絶対に大丈夫。この高い柵だって飛び越えられるわ。
 サシャの心に安心と決意が生まれた。
「今、行くわ」
 さらりと言えてしまい、数歩さがって、すぅ、と息をついた。たっと地面を蹴る。
 じゅうぶんに助走をつけて、柵の少し前で地面から蹴り上がった。サシャの体は羊どころではなく鳥かなにかのように高く、高く飛び上がり、少し身を前に向けるだけで柵を軽々と超えていた。
 そして目の前にはシャイが手を大きく広げている。満面の笑みを浮かべて。
 彼が受け止めてくれる。もう少しで腕の中に。
 そこでサシャの視界がぱっと切り替わった。
 数秒、この状況がわからなかった。
 見えたのは白い、透けているうつくしいレース。ここがどこかもわからなかったが、じっとしているうちに思い出した。
 ここはミルヒシュトラーセ王家。お借りした客室。お借りしたベッド。見えているのはベッドの上の天蓋のレース。
 理解すれば安心して、サシャはごそりと布団の中で身じろいだ。
 窓からはあかるいひかりが差し込んできている。すっかり朝だ。
 いつの間にか眠っていたらしい。それもぐっすり眠っていたようだ。体も頭もすっきりしていた。
 それに、見ていた夢。夢の中でシャイが勇気づけてくれた気がした。
 それだけでなく、自分も「今、行くわ」と柵を飛び越える勇気を出すことができたのだ。
 勇気を出すだけでなく、実際に飛びあがって、柵を超えられた。あとは彼の腕に飛び込むだけだったのだ。
 だからきっと、今夜のことも大丈夫。サシャの胸には力がみなぎっていた。