一日中落ち着かなかった、と金香は夜の一人の部屋でため息をついた。
湯を使って気持ちはほどけたものの、なんだか胸がいっぱいだった。
今朝、朝餉の出来上がったあとには「いただきます」と先生のご挨拶で食事がはじまって、金香は黙々と料理を口に運んだ。
その間、ちらりと視線を向けたけれど、先生は特に変わりのない様子で食事をされていた。
でも、この朝餉の前に。
膳は普段通り金香が運んだ。
流石に緊張した。昨日の今日なので。
「有難う」
先生は言ってくれたが、お礼を言う前に金香の目を覗き込んできた。
昨夜以前なら顔を赤くしたり視線を逸らしたりしていただろうに、今日は何故かそれがなかった。
穏やかな焦げ茶の瞳と数秒、合ったままになる。それは変わった関係をまざまざと表していた。
そしてお礼を言い、何事もなかったかのような様子に戻り、金香もそのまま支度をして食事となったのだった。
そんな今朝の出来事を思い返すと、やはりくすぐったくてならない。
どうしてだろう、これまでは恥ずかしかったり緊張したり、もしくは不安だったりしたのに。
きっとそれは先生の、麓乎のくれた『安心』なのだろう。
そんな気持ちを抱えながら金香は文机に向かった。
昨日の続きを書くつもりだった。砂時計を逆さにして昨日かかった時間から逆算して、「今日使える時間は何分」と決める。砂時計の半分くらいの量だと計算した。
話は書きかけではあるがこのあとどういう展開にしてどう結ぼうかは考えていた。なのでそう苦労することも無いと思ったのだが。
金香の鉛筆はちっとも動かなかった。
なんだか抵抗があるのだ。自分の考えた話に。
日をまたいで同じ話を続けて書くことはこれまでにもあった。というか、そのほうがよくあることだったかもしれない。心の中に「こういう話を書こう」と決めているのはいつもと同じなのに。
はっと気づくと砂はだいぶ減っていた。使える時間はもう無い。
残り時間では到底、考えた最後まで書ききることはできないだろう。
だめだ、これは諦めよう。まったく違う話を考えよう。
新しい一時間で新しい話を書くことを許してもらうように、出す前にお願いしなければ。
思って金香は半紙を畳んだ。新しい半紙を出す。なにを書こうかまた悩んだ。
『川』。
……川の流れる様子を恋人同士に例えようか。
そう思ってしまって金香は眉根を寄せてしまう。あまりあからさまに恋の話を書くのも。
麓乎は、……先生は、ちょっと人をからかって楽しむような子供のような部分がある。そのようにつつかれてしまうかもしれない。
それはどうにも恥ずかしい。
悩んで、悩んで。
結局書いたのは川の流るる様子を見た旅人が川に沿って歩いていき、海の見えるところまでたどりついて感嘆する、という話。
一応完成させたものの、金香は半紙をじっと見て小さくため息をついた。
きちんと一時間で書けた。脈絡も整っていると思う。ひとつの話、作品として成立しているとは思う。
が、ため息になってしまったのは、どうしてか「この話は無難すぎる」と思ってしまったためだった。
しかし仕方がない。これはこれで課題なので提出せざるを得ないのだ。
出来はともかく、というか気に入るかはともかく、ひとまず課題も終わったので金香はもう寝ようかと床をのべた。布団に潜りこむ。慣れた自分の香りに包まれて体はほどけていく。
今日は妙に気を張ってしまって疲れていた。すぐにでも眠れそうだったのに。
ふと思う。
先生は今、どうしてらっしゃるかしら。
もう眠ってしまったかもしれない。
それともなにか書かれているかもしれない。
もしくは本でも読まれているかもしれない。
色々と想像を巡らせて、最後に思った。
今の私のように、私のことを考えてくださっていればいいのに、と。
思ったことに頬が熱くなる。
想いは叶ったのに、また違うことを望むようになってしまった、と思った。
恋というものは際限がないのだろうか。
欲しいと思ってしまうことに、きりはないのだろうか。
それでは恋の行きつく先はどこなのかしら。
思いながら、金香はうとうとしてきた。
明日、先生とお話ができればいいな。
最後に意識で感じたのはそんな望みであった。
湯を使って気持ちはほどけたものの、なんだか胸がいっぱいだった。
今朝、朝餉の出来上がったあとには「いただきます」と先生のご挨拶で食事がはじまって、金香は黙々と料理を口に運んだ。
その間、ちらりと視線を向けたけれど、先生は特に変わりのない様子で食事をされていた。
でも、この朝餉の前に。
膳は普段通り金香が運んだ。
流石に緊張した。昨日の今日なので。
「有難う」
先生は言ってくれたが、お礼を言う前に金香の目を覗き込んできた。
昨夜以前なら顔を赤くしたり視線を逸らしたりしていただろうに、今日は何故かそれがなかった。
穏やかな焦げ茶の瞳と数秒、合ったままになる。それは変わった関係をまざまざと表していた。
そしてお礼を言い、何事もなかったかのような様子に戻り、金香もそのまま支度をして食事となったのだった。
そんな今朝の出来事を思い返すと、やはりくすぐったくてならない。
どうしてだろう、これまでは恥ずかしかったり緊張したり、もしくは不安だったりしたのに。
きっとそれは先生の、麓乎のくれた『安心』なのだろう。
そんな気持ちを抱えながら金香は文机に向かった。
昨日の続きを書くつもりだった。砂時計を逆さにして昨日かかった時間から逆算して、「今日使える時間は何分」と決める。砂時計の半分くらいの量だと計算した。
話は書きかけではあるがこのあとどういう展開にしてどう結ぼうかは考えていた。なのでそう苦労することも無いと思ったのだが。
金香の鉛筆はちっとも動かなかった。
なんだか抵抗があるのだ。自分の考えた話に。
日をまたいで同じ話を続けて書くことはこれまでにもあった。というか、そのほうがよくあることだったかもしれない。心の中に「こういう話を書こう」と決めているのはいつもと同じなのに。
はっと気づくと砂はだいぶ減っていた。使える時間はもう無い。
残り時間では到底、考えた最後まで書ききることはできないだろう。
だめだ、これは諦めよう。まったく違う話を考えよう。
新しい一時間で新しい話を書くことを許してもらうように、出す前にお願いしなければ。
思って金香は半紙を畳んだ。新しい半紙を出す。なにを書こうかまた悩んだ。
『川』。
……川の流れる様子を恋人同士に例えようか。
そう思ってしまって金香は眉根を寄せてしまう。あまりあからさまに恋の話を書くのも。
麓乎は、……先生は、ちょっと人をからかって楽しむような子供のような部分がある。そのようにつつかれてしまうかもしれない。
それはどうにも恥ずかしい。
悩んで、悩んで。
結局書いたのは川の流るる様子を見た旅人が川に沿って歩いていき、海の見えるところまでたどりついて感嘆する、という話。
一応完成させたものの、金香は半紙をじっと見て小さくため息をついた。
きちんと一時間で書けた。脈絡も整っていると思う。ひとつの話、作品として成立しているとは思う。
が、ため息になってしまったのは、どうしてか「この話は無難すぎる」と思ってしまったためだった。
しかし仕方がない。これはこれで課題なので提出せざるを得ないのだ。
出来はともかく、というか気に入るかはともかく、ひとまず課題も終わったので金香はもう寝ようかと床をのべた。布団に潜りこむ。慣れた自分の香りに包まれて体はほどけていく。
今日は妙に気を張ってしまって疲れていた。すぐにでも眠れそうだったのに。
ふと思う。
先生は今、どうしてらっしゃるかしら。
もう眠ってしまったかもしれない。
それともなにか書かれているかもしれない。
もしくは本でも読まれているかもしれない。
色々と想像を巡らせて、最後に思った。
今の私のように、私のことを考えてくださっていればいいのに、と。
思ったことに頬が熱くなる。
想いは叶ったのに、また違うことを望むようになってしまった、と思った。
恋というものは際限がないのだろうか。
欲しいと思ってしまうことに、きりはないのだろうか。
それでは恋の行きつく先はどこなのかしら。
思いながら、金香はうとうとしてきた。
明日、先生とお話ができればいいな。
最後に意識で感じたのはそんな望みであった。