来てしまった。
 金香は源清先生の私室の前に立ち尽くしていた。
 今度こそ訊くのだ。
 音葉さんのことを。
 勇気を出さないと。このまま悶々としてしまっていては、課題の休暇をいただいた意味などないだろう。
 悶々とした気持ちをなんとかしないことにはまともなものだって書けやしない。
 いや、片恋に悩む気持ちは書けるかもしれないがそのような作品を見せられるはずがない。
 そうであるならばいい加減先に進まなければ。
 ごくりと唾を飲んで金香は扉を軽くノックした。
「はい」
 中から先生のお声がする。
 いらっしゃる。
 それは良いことなのだけど、ああ、きてしまった、とも金香に思わせた。
「金香です。……今、よろしいですか?」
 金香の問いには、なにやら中で気配がした。返事よりすぐに扉が開けられて先生が姿を見せてくださる。
「かまわないよ。どうぞ」
 言ってくださった言葉はやはり優しかった。穏やかな微笑を浮かべている目元も。
 お顔を見て、声を聴いただけで金香の胸は高鳴った。
 この方が好きだ、と思ってしまって、その思考に羞恥を覚える。
「お邪魔いたします」
 どくどくと騒ぐ心臓を叱咤して中へ入る。
 こんなに緊張するなど、別に想いを伝えるわけでもあるまいに。
 それに近いことではあるのだが。
 金香がいつも添削の際に座らせていただく座布団を勧めてくださって、先生も文机の前に腰を下ろす。
「なにか用事かな」
 言われて、思わずごく、と唾を飲んでしまった。急に喉が渇いてきたような気がする。
「……昨日、音葉さんにお会いしてきました」
 金香の言葉に、源清先生はちょっと驚いたような顔をした。確かに「会ってみるのも良いかもしれない」とおっしゃったのは先生であるが、これほど早く実行するとは思われなかったのだろう。
「そうなのか。昨日、珠子さんが訪ねてきたね。そのあとかな」
「はい。喫茶店に連れていっていただいて、それでお話を」
「それは良かったね。愉しかったかい」
「はい! とても」
 それは本当のことなので明るい声になった。一瞬では、あったけれど。
「その報告かい?」
 訊かれて詰まってしまう。
 そんなはずはないではないか。
 このような時間にわざわざ押しかけておいて、愉しかった思い出話をしようなど。
 そんな気軽な仲ではないのだから。