「音葉さん!」
 呼ぶと音葉さんは振り返ってくれた。驚いたような顔をしている。
「あら、巴さん」
「あの、急にすみません」
 まず謝る。無礼である自覚はあったので。
 しかし彼女は、ふっと笑みを浮かべて「いいえ」と言ってくれた。
 それに少しほっとしたものの、やはり緊張は消えてくれない。それどころか、まっすぐに向かい合ったことで心臓の高鳴りはさらに激しくなっていた。
「なにかご用事?」
 先に言ったのは音葉さんだった。金香は勢い込んで言ってしまう。
「あの! 良かったら少しお時間宜しいでしょうか?」
 彼女は今度、不思議そうな顔をした。
 それはそうだろう。妹弟子とはいえまともに話したこともないのだから。
 それでも不自然ではないはずだ。なにしろ『姉妹弟子』という関係になっているのだ。
「……良かったら、お話してみたいと思いまして」
 ちょっと声の調子を落として言ってみる。金香のお願いは唐突なものであっただろうに音葉さんはやはり笑ってくれた。
「ええ、時間は大丈夫よ。私も巴さんのことは気になっていたの。是非お話しましょう」
「ありがとうございます!」
 金香もつい笑顔になったがちょっと心は曇った。
 『気になっていた』というのはどういう意味であろう。
 もしや音葉さんは源清先生と恋仲か、もしくは彼を想う気持ちがあるなどで……彼女は彼女で、屋敷で先生と一緒に暮らす私が邪魔をしないか気になった、とか。
 そんな想像をしてしまい、金香は勢いよくそれを振り払う。そんなこと失礼が過ぎる。
「ではお茶でもいかがかしら? 美味しいお茶を出すお店があるの」
「はい。ではすぐに支度をしてまいります」
「ええ。ここで待っているわ」
 金香はほっとした。屋敷で話そうなどと言われなかったことに。
 屋敷では問題がある。なにかの拍子に先生のお耳に入ってしまわないとも限らない。
 やはりなにもおかしくはないだろうし問題もないだろうが、出来れば知られたくない。
 そんなあれやこれやと勘ぐってしまったり、もしくは策略をはたらいたりする自分を酷く醜く感じ、自室でがま口やらはんかちやらを取り出して急いで準備を整える間、内心だいぶ落ち込んだのである。