結局、指摘された化粧は落としてもう一度やり直した。寺子屋でもからかわれてはかなわない。
 今度は「いつもどおり」「いつもどおり」と意識しておしろいをはたいて、頬紅を入れた。
 『いつもどおり』を意識しないとできないなど、なにかおかしい、と思いながら。
 むしろ『特別な化粧』をするほうを普通は意識するものではないのだろうか? と、最後にくちびるに薄く紅をさしながら金香は首をかしげてしまった。
 今のところ『特別な化粧』をする機会など、金香には友人の祝言に招かれたときなどしかなかったのだが。
 その『いつもどおり』のおかげか、寺子屋では特になにも言われなかった。
 寺子屋での仕事は何事もなく終わり、半日と少しの仕事のあと金香は帰路についた。
 屋敷で「香を買ってきて欲しい」と言われていたので店に寄るつもりであった。初めてお逢いしたとき感じた、源清先生の使っている香だ。
 先生は香が好きなようで、下女がいつも衣服に焚き染めていることを住まってしばらくしてから金香は知った。まるで昔の貴族のお姫様のよう、と思いながらも、うつくしい容姿をしている源清先生には似合いすぎていたのでまるで違和感などなかった。
 それに使う香が少なくなってきていたので買ってきて欲しいというわけだ。普段は雑用をこなす下男が買いに行くことが多いのだけど、やはり身分差がない以上、手の空いている者や、ついでの用事のある者がこなしてかまわない用事である。ゆえに今日は金香がその役をすることになったというわけ。
 こだわりが強いので、同じお店の扱っている同じものでないととの先生のご所望だそうだ。金香もすでに何度か買いに行ったことがあったので店の場所は覚えていたし、店主とも顔なじみになっていた。今日も「源清先生のお香だね」と、すんなり香を箱で出された。
「何箱かい」
「三箱くださいませ」
「あいよ」
 老齢に差し掛かった店主が箱を包んでくれる。銅貨を出して、金香は包みを受け取った。
「毎度」
 店主の声を背に、店を出て帰路につく。
 やわらかな紙に包まれた香の箱。先生のお好きな香り。
 それを今、抱えていることがなんだか嬉しい。
 昨日から感じていたもやもやした気持ちがなくなっていたように感じていたのにそれが復活してしまったのは、町の中心へと差し掛かったそのときだった。
 特に珍しいものを見たわけではない。
 ただ、男女二人が寄り添って歩いていた。明らかに恋仲か夫婦である様子で。
 愉しげな様子だった。
 女性は男性に寄り添い腕を添えていた。
 逢引。
 洋風に言えばディト。
 知らない男女の姿を見ながら金香はぼんやりその言葉を反芻していた。
 源清先生とあの方、音葉さんがあのように並んで歩いていたら、逢引のように見えるかもしれない。
 想像しただけで昨日と昨夜感じた、もやもやした気持ちが再び湧いてきてしまったのだ。
 お歳は訊かなかったが金香と同じか、少し上。恋仲の男性の一人もいておかしくないだろう。
 そしてあの方は、いつからかはわからないが少なくとも金香より先に源清先生に弟子入りしている、姉弟子となる立場。源清先生のことも金香よりよく知っているのだろう。
 それはなんだか寂しく、また悔しいとも思ってしまった。
 腕に抱いた香の包みを思わず、ぎゅっと抱きしめていた。
 心もとなかったので。
 自分のこの気持ちがなんなのか。
 なんとなく思い当たるような気がしてしまった。