誰か、居ないの。
思って足を踏み出した。
歩きだしてから気付いたが裸足だ。夏だというのに足はひんやりと冷たかった。
歩いていくうちになにかが見えてきた。
あれは通い慣れた寺子屋。あそこならきっと、誰かが。
見えたのは庭ではしゃぐ子供たち。教師も何人か見える。
ほっとしてそちらに歩みを進めたのだが、誰もこちらを向いてはくれなかった。金香に気付いた様子もない。
どうして?
近付いていっているのに。
そのうち、すぅっと靄が濃くなった。
同時に寺子屋の風景が丸ごと遠くなっていく。すべてが金香から逃げてしまうようだった。
どうして?
待って。
思って手を伸ばしかけたのだが遠くへ、遠くへ行ってしまってやがて見えなくなった。
金香はなにが起こったのかわからずに、呆然とそちらを見るしかない。
ふと右へ視線をやると、次に見えたのは父親だった。
お父様!
思わず呼んでいたが、父親もまた金香に気付いたような様子は見せない。
おまけに金香は気付いた。
父親の隣に女性がいる。金香はすぐに悟った。あれは顔も知らぬ、金香が存在だけを察していた女性だ。
父親に腕を絡め、寄り添い、睦まじい様子を見せていた。
父親は独りではないのだ。
……自分とは違って。
足が止まってしまった金香にかまうことなく、二人もまた、すぅっと遠くなって霞の中へ消えてしまった。
見えたふたつのことに金香は愕然としていたのだが、次に見えたものにぎくりとした。
あれは屋敷。もう良く知っている金香の現在の住まいだ。
源清先生や志樹、働くひとたちの住んでいるところ。
まさかまた消えてしまうのでは。思ったことに金香は震えた。
見たくない。
思ったのに目をそらすことも踵を返して逃げ出すこともできなかった。
見ている先に人が現れた。
屋敷の庭に出ているのは源清先生。ただしこちらに背を向けていた。長い髪が揺れている。
後ろ姿でもすぐにわかるそのひとが見えたことで、金香は怖くなった。
このような場所で目にすることには不安しかない。
だってここまでで親しい人たちは皆、視界から消えてしまったのだ。きっと同じようになってしまう。
恐怖感が胸を満たし、金香は思わず声を出していた。
……源清先生!
自分の声が確かに耳に届いた。
が、先生には届かなかったらしい。
先生は背を向けてなにかをしているようだ。金香に気が付くことなく。
……先生。
金香はもう一度呼んだ。
その声に、視線の先の源清先生の肩がぴくりと揺れる。そして振り返ろうとするような仕草が見えた。気付いてくださったのだろうか。
金香の胸に期待が溢れた。
しかし。
先生のお顔が見える、と思った瞬間、ぶわっとなにかが目の前に散った。たまらず金香は顔を覆う。
細かな雪のようなそれは、満開の桜が強風に煽られて散ったようだった。
視(み)えない。
花びらが覆ってしまって、先生のお姿が。
花びらをのけようと手を振るのに、花びらはちっともやまなくて。
そのうち吹いていた風がやんだように、花びらの散る様子は静かになっていった。
ああ、これでやっと視える。
ほっとした金香だったが。
その先にはなにもなかった。
先生のお姿だけではない。屋敷も庭もなにも見当たらない。
状況がわからずに金香は呆然と立ち尽くした。ただ靄のかかったなにも無い空間だけが視界の先にある。
また独りになってしまった。
そんな気持ちが胸に迫ってきて、ぶるりと体が震えた。
寒い。
裸足の足先から冷気が這い上がってきたようだった。
こんなところに独りきり。
自分の前から誰もかれもが居なくなってしまう。
胸に感じた恐ろしさが膨れ上がって零れそうになったとき。
思って足を踏み出した。
歩きだしてから気付いたが裸足だ。夏だというのに足はひんやりと冷たかった。
歩いていくうちになにかが見えてきた。
あれは通い慣れた寺子屋。あそこならきっと、誰かが。
見えたのは庭ではしゃぐ子供たち。教師も何人か見える。
ほっとしてそちらに歩みを進めたのだが、誰もこちらを向いてはくれなかった。金香に気付いた様子もない。
どうして?
近付いていっているのに。
そのうち、すぅっと靄が濃くなった。
同時に寺子屋の風景が丸ごと遠くなっていく。すべてが金香から逃げてしまうようだった。
どうして?
待って。
思って手を伸ばしかけたのだが遠くへ、遠くへ行ってしまってやがて見えなくなった。
金香はなにが起こったのかわからずに、呆然とそちらを見るしかない。
ふと右へ視線をやると、次に見えたのは父親だった。
お父様!
思わず呼んでいたが、父親もまた金香に気付いたような様子は見せない。
おまけに金香は気付いた。
父親の隣に女性がいる。金香はすぐに悟った。あれは顔も知らぬ、金香が存在だけを察していた女性だ。
父親に腕を絡め、寄り添い、睦まじい様子を見せていた。
父親は独りではないのだ。
……自分とは違って。
足が止まってしまった金香にかまうことなく、二人もまた、すぅっと遠くなって霞の中へ消えてしまった。
見えたふたつのことに金香は愕然としていたのだが、次に見えたものにぎくりとした。
あれは屋敷。もう良く知っている金香の現在の住まいだ。
源清先生や志樹、働くひとたちの住んでいるところ。
まさかまた消えてしまうのでは。思ったことに金香は震えた。
見たくない。
思ったのに目をそらすことも踵を返して逃げ出すこともできなかった。
見ている先に人が現れた。
屋敷の庭に出ているのは源清先生。ただしこちらに背を向けていた。長い髪が揺れている。
後ろ姿でもすぐにわかるそのひとが見えたことで、金香は怖くなった。
このような場所で目にすることには不安しかない。
だってここまでで親しい人たちは皆、視界から消えてしまったのだ。きっと同じようになってしまう。
恐怖感が胸を満たし、金香は思わず声を出していた。
……源清先生!
自分の声が確かに耳に届いた。
が、先生には届かなかったらしい。
先生は背を向けてなにかをしているようだ。金香に気が付くことなく。
……先生。
金香はもう一度呼んだ。
その声に、視線の先の源清先生の肩がぴくりと揺れる。そして振り返ろうとするような仕草が見えた。気付いてくださったのだろうか。
金香の胸に期待が溢れた。
しかし。
先生のお顔が見える、と思った瞬間、ぶわっとなにかが目の前に散った。たまらず金香は顔を覆う。
細かな雪のようなそれは、満開の桜が強風に煽られて散ったようだった。
視(み)えない。
花びらが覆ってしまって、先生のお姿が。
花びらをのけようと手を振るのに、花びらはちっともやまなくて。
そのうち吹いていた風がやんだように、花びらの散る様子は静かになっていった。
ああ、これでやっと視える。
ほっとした金香だったが。
その先にはなにもなかった。
先生のお姿だけではない。屋敷も庭もなにも見当たらない。
状況がわからずに金香は呆然と立ち尽くした。ただ靄のかかったなにも無い空間だけが視界の先にある。
また独りになってしまった。
そんな気持ちが胸に迫ってきて、ぶるりと体が震えた。
寒い。
裸足の足先から冷気が這い上がってきたようだった。
こんなところに独りきり。
自分の前から誰もかれもが居なくなってしまう。
胸に感じた恐ろしさが膨れ上がって零れそうになったとき。