数日間、「荷の片づけと部屋の構築」そして「屋敷に慣れるように」とお気遣いを貰い、金香は屋敷で過ごした。
 荷をほどいて与えられた自室の箪笥や棚などに収めていく。
 和服が多かったが洋装も何着かは持っていた。あまり着る機会はないのだが。
 しかし源清先生や志樹は時折洋装……というか和洋折衷のような衣服を着ていた。
 洋装はそれなりに高価であるために気軽に買うことはできないのであるが。
 庶民の多い近くの町の者もまだまだ着物が主流。
 金香の持っている洋装もぼたんのついたぶらうすを数枚、上着が一枚。
 下の着衣としては、女性の洋装としてすかーとというものがあることは知っていたが、脚をあらわにするのは躊躇われた。
 それに似たものであれば袴のほうが楽であり安心なのである。ぶらうすに関しては確かに便利なものであった。着物の下に着るのだが動きやすい。
 「これからは洋装が主流になる」とおっしゃったのは源清先生である。
 彼は「女性の社会進出」などの発言に代表されているように、考え方が時代の先端を取っているような人であった。
 それはそうかもしれない。小説というものは常に新しさが求められる。
 たとえ歴史小説などで過去の出来事を描くのだとしても文体、漢字……表現を時代に合わせることは必要になってくるのだから。
 なので金香に対しても「指導に関しては、ほかの門下生と同じように扱うから」と言われていた。それは金香にとってはむしろ誇らしいことであったので「はい、お願いいたします」と即答した。
 本当の指導模様は厳しいのだろうか。
 今までは外の者だから優しく褒めるようなことを言ってくれていたのかもしれない。
 少々心配になったのだが次の週からはじまった本格的な門下生として受ける指導。源清先生が声を荒げたり乱暴な言葉遣いをしたり……不条理な要求をしてくることなどなかった。
 しかし漢字や言い回しなど基本的な部分で同じ間違いをすればやんわりとだが諫められる。
 必然的に金香は申し付けられる課題以外にも自主的に勉強をするようになった。夜は大抵部屋にこもり、先生や志樹にお借りした市販の小説の写しをするところからはじめた。
 その学習方法からは読んでいるだけではわからなかったことが見えてくる。
 漢字の使い分け、文体の硬さ、やわらかさ……進めていくうちにいかに自分が自己流で稚拙な文章を書いていたかを思い知らされて金香は数日落ち込んでいた。
 が、持ち前の前向きさを発揮してすぐに思い切ることができた。
 自分の未熟さを自覚したということはそれを改善するように精進できるようになったということ。
 ここからはじめればいい。
 源清先生も「まだまだここからだよ」と言ってくださった。