話題はそのまま名前だったけれど。機嫌よさげに麓乎は言った。
「私はきみの名が好きだからね。良い意味があるだろう」
 名前を褒められればやはり嬉しい。金香がお礼を言う声も明るくなった。
「『巴』は、繋がりを示す意味だね。円を描くだの色々とあるけれど……『ひととの繋がり』を表している解釈が私は好きかな」
 金香は背筋を伸ばして言う。
「はい。……もう、独りではありませんから」
 「おや、随分自信がついたね」と麓乎はくすくすと笑った。
 自己評価の低いところがある、と言われたり。
 はたまた、父親に新しい伴侶ができて不安になったり。
 そのような、通ってきた道のりを思えば当然だろう。しかし誇らしいことだ。
「『金香』も良い名前だ。響きが良いし、『金』も『香』も美しさを表す字だね」
「ありがとうございます」
 名前も褒められた。
 自分でも好きな名前なのだ。女性らしい響きを帯びていると思う。
 ほかに同じ名の女性に出会ったことがないことも『自分』という『個』を感じられるのだ。
「それに、『金』と『香』が繋がるのも良いところだ」
 しかし次に言われたその言葉に、金香はきょとんとしてしまう。
 確かに良い字であるものの、麓乎の物言いは、『繋がることでなにか意味がある』という様子だったので。
 金香がわかっていない、と見てとったのだろう。おや、という顔をした。
「知らないのかい?」
「……なにかあるのでしょうか」
「いや、……『良い』とだけ知っていれば良いよ」
 ちょっと黙って。
 しかしそれに続く言葉はなかった。
 あったのだが、多分それは、麓乎の意図とは違ったものであっただろう。
「なにしろ特別だからね。最初から名前で呼びたいと思っていた」
「……ありがとうございます」
 はぐらかされた。
 思ったものの、金香は追及しなかった。麓乎が『良い意味がある』と評してくれたことだけでも単純に嬉しかったので。
「実は、志樹がきみを、私より先に名前で呼んだことに嫉妬したのだよ」
 ふっと笑って打ち明けられた。たまに見せる、子供のような眼をして。
 金香は驚いてしまった。
 確かに初めてこの屋敷にきた日。
 麓乎の兄であり、弟弟子である志樹を紹介されて、他人ではないのだから名前で呼んでいいかと訊かれて、そして名前で呼び、呼ばれることに決まった。
 そのとき、麓乎は「私は仲間外れかい」と言ったのだ。
 あれが嫉妬だった、なんて。
 確かにあのとき既に、それを子供のような言い方だと思ったけれど。
 しかし、単にそういうことを気にするだけだと、そのときは思っていた。
 それが嫉妬という感情だったと言われて驚いた。
 このひとはそんなこと、思わないと思っていた。金香より随分年上で、立派な大人で、堂々としていながら穏やかなひとで。
 ああ、でも完全な存在ではない。苦手なものだってある。
 たとえば、犬。
 ほんの小さな子犬にも遭遇したくないと思ってしまい、道を変えたいなどと言い出すような、確かにここに生きている人間なのだ。
 そう、金香と並んで歩いてくれる、確かにここに居るひと。
「そのくらいには、はじめからきみを想っていた」
 そっと手を伸ばして触れられて。
 包み込まれた金香の手は、それだけであたたかくなる。
 何度もこの手に触れられた。
 いつだって金香の手を引き、共に歩いてくれるひと。