* * *


 際弦の牌楼は今までの町よりも立派でキレイだった。朱色の屋根瓦、柱は太く、石柱で、際弦を取り囲む塀も立派だ。二メートル以上はある感じ。
 街の中もこれまでの街よりも、遥かに賑わっている。
 主要都市である所陽に近づくにつれて、町も街道も賑わって行くんだと、貞衣さんが教えてくれた。
 確かに、橋を渡るとき人通りがこれまで通ってきた道よりも多かったっけ。

「ん?」

 上空がなにやら騒がしくて、ふと上を見上げると鳥が何羽か旋回していた。どんな鳥なのかは分からないけど、だいぶ大きいみたい。カラスか、それ以上か。

「じゃあ、私達はこれで」

 風間さんがにこりと笑って、やんわりと別れを促す。
 これでお別れなんて、寂しいなぁ。

「じゃあ、これで」

 私も小さく言って、お辞儀をしようとした。

「あとで、夕食などいかがです?」

 意外な言葉に顔を上げる。風間さんがにこやかに提案していた。ぽかんとしてしまう。なんか、意外な気がする。

「良いね。それ!」

 間髪いれずに貞衣さんが賛成して、晴さんが嬉しそうに頷いた。

「良いんですか?」

 私は思わず風間さんに訊いてしまった。
 風間さんはどことなくきょとんとしたようすで、「はい」と頷く。

「じゃあ、また会えますね!」
「そうね!」

 嬉しくて、私と貞衣さんは手を握り合ってしまった。
 待ち合わせ場所と時間を決めて、私達は別れた。私と風間さんは、大通りからいつも通りに裏路地に曲がった。ボロ宿屋を探す。
 
 町が大きいからか、かなり奥へ行ったところに目的地の宿屋はあった。
 瓦が崩れ、蔦が伸びる。柱が古ぼけ、塗装がはがれていた。――うん、ボロい。安定のボロさ。

 寝て起きるだけだったら、こういうところでも十分なのかも知れない。ゴキブリも出ないし。ダニやノミも今のところ遭遇してないし。

 そんなことがふと過ぎって、しみじみ思った。
 私、強くなったなぁ……。なんて、自分を褒めてみたりして。

 ちょっと嬉しいような気分で、私は宿屋に足を踏み入れた。

 カウンターにいた中年の女性は、私達を見るなり無愛想に鍵を放った。
 それを風間さんが反射的にキャッチする。

「一部屋しか空いてないよ。それでよけりゃ、それ使いな」

 おばさんは愛想なく言って、記入表を取り出した。

 ひ、一部屋ですか……。
 風間さんをチラリと見る。

 風間さんは微苦笑して私を一瞥した。
 目が、決めて下さいと、言っているようだった。
(え? 私が決めるの?)
 戸惑っていると、おばさんがイラついた視線を送る。

「はやく決めとくれよ」

 険のある声に思わず苦笑いを返すと、見かねたのか風間さんが、

「どうしますか? 私は外でも床でも構いませんよ」

 と、微笑んで、入室を促した。
 風間さんを床や外で寝かすつもりはなかったけど、とりあえず部屋に入ってからその辺は決めればいいかな。

「じゃあ、お願いします」

 風間さんが記入して、部屋へと向った。

 古い木製のドアを開けると、これまでとさほど変わらない風景が広がっている。埃っぽい床に、部屋の中心には大きな寝台。剥がれてきそうな土壁。唯一違うのは、窓くらい。この部屋は一階だからか、窓は四角だった。永ではどこの街でも二階の窓は赤い丸窓だったから。

 とりあえず、いったん寝台の端に座る。
 窓の前で外のようすを眺めている風間さんを窺い見る。風間さんはどことなく何かを考えているような顔つきをしていた。私は、そろりと尋ねる。

「あの、どうしましょうか?」

 振り返った風間さんは、「ん?」という顔をした。
 そして、言わんとすることを悟ったのか、ああと声を漏らす。

「私はどこでも構いませんよ」
 
 にこりと笑って、また窓の外へと視線を移した。

 どこでもいいって言われてもなぁ。床で寝させるわけにもいかないし。
 ちらりと視線を床に落とす。……汚い。土と、埃がみっしり。
 私が床で寝るのもなぁ。それは……嫌だな。
 この前も何もなかったし、大丈夫だよね? と、自分に言い聞かせて、

「じゃあ……寝台を半々に分けて寝ましょうか?」
「はい。では、そうさせていただきます」

 私の提案に、風間さんは丁寧に頭を下げた。
 なんか……違う気がする。お金を払ってるのは風間さんなんだし、そこは私がお礼を言うところっていうか……。
 
 風間さんはどうしてそんなに、他人行儀というか、一線引きたがるんだろう。ずっと、目上に扱われてる気がするんだけど。

 やっぱ私の中に魔王がいるから? 
 どうしてなのか訊きたいけど、フランクになりなよと言うと、風間さんは途端にもっと、線を引く。と、いうのは、樹枝海の件でわかっているから、訊くに訊けない。
 でも、やっぱり、できるなら距離を縮めたいとも思ってしまうわけで。

 私が悶々としていると、ドアからノック音が届いた。
 振り返ると同時に、ドアが開かれる。

「お湯だよ」

 おばさんが大きな桶を持って入ってきた。
 入り口付近に桶を置いて、ドラクルの鱗を桶の中に放って足で踏みつけた。
 あっという間にお湯が湧く。すぐに桶の八分くらいにお湯が張った。おばさんは小さめの布を一枚桶の中に放って、大きな布を寝台の上に放った。

「じゃ、ごゆっくり」

 と、告げて部屋を出て行く。
(これはなんだろう?)
 頭を捻っていると、風間さんが後ろから答えをくれた。

「簡易のお風呂ですよ」
「え!?」

 お風呂!? やったあ! しばらくぶりのお風呂だああ!

「ふふっ」

(ハッ! しまった!)
 嬉しさのあまり立ち上がってガッツポーズをしてしまっていた。

 風間さんがおかしそうにお腹を丸める。声が漏れないように手で口を塞いでいた。
 そんなに笑わんでも……。
 女の子にお風呂は必須なんですよー!?

 頬を膨らますと、風間さんは柔らかく微笑む。
 思わず、胸が高鳴った。
 まるで、慈しむような目線だったから……。

「私は出ていますから、先に入って下さい」

 風間さんは惚ける私にそう言って、部屋を出て行った。
 さっきの目線はなんだったんだろう? 愛しい者を見たときとか、子猫を見たときとか、子供を見たときとか、そんな感じの目だった。やわらかくて、優しくて……。
 もしかして、私を子供だと思ったとか? ……そうかも。

 行動が、子供だったもん。
 頬を膨らますって。
 もうちょっと、大人な対応があっただろうに……自分よ。
 自嘲しながら、服を脱ぐ。

 それにしても、久しぶりのお風呂だ。
 嬉しいなぁ。

 足先をお湯につけると、ジンとした。
 そのまま半身を浸していく。

「はあ~」

 気持ちいい。

「でも、全身浸かれたらもっと良いのに」

 桶が浅いため、おへそより下にしかお湯がない。
 ちょっと残念に思いながらも、布で身体を拭いていく。

  ……髪はどうやって洗おう。
  暫く思案した結果。お湯を手ですくってかけて行くことにした。

「あ~……シャンプーでゴッシゴシ洗いたいなぁ……」

 ぶつくさと呟く。
 でも、まあ、ないものはしょうがない。
 私は乾いた大きめの布で身体を拭いた。
 服を着て、風間さんを呼びに出ようとドアを開ける。
 風間さんはドアから少し離れた部屋側の壁によりかかって立っていた。

「あの、お風呂上がったので、どうぞ。私も出てますから」
「はい。ありがとうございます」

 入れ違いで風間さんが部屋へと入った。
 一息ついて、壁にもたれる。

「――んっ」

 こめかみが、ズキンと痛んだ。
 心なしか、熱っぽい。お風呂に入ったからかな?
 なんだか、だるくなってきた。
 貞衣さん達との食事が済んだら、今日はさっさと寝てしまおう。

(……寝れるかなぁ……?)

 灰楼での夜を思い出して、苦笑する。
 結局緊張して一睡もできなかった。

 まあ、それならそれでしょうがない。
 風間さんの寝顔拝見イベントに切り替えよっ!

 私が変な風に意気込んだところで、ドアが開いた。
 風間さんと目が合う。
 風間さんは笑んで、桶を抱えて出てきた。

「片してきますね」

 桶にはもうお湯はなかった。
 その代わり、鱗がお腹いっぱいというように膨らんでいる。

「はい。お願いします」

 返事を返して、私は部屋へ戻った。

 寝台の枕元に置いてあった風間さんのウロガンドを手に取ると、約束の時間まではまだ三十分以上ある。
 もうちょっとゆっくりしよう……そう思ったときだ。
 視界がぐるんと廻った。

「あ、れ?」

 足に力が入らずに崩れ落ちる。
 そのまま、寝台に投げ出された。

「谷中様!?」

 ちょうど戻って来たのか、風間さんが驚いて駆ける音がする。
 額に冷たいものが乗った。
 それが風間さんの手なのだとわかったのは、風間さんが、「すごい熱だ」と、呟いたから。

 ああ、ドラマでよくあるセリフだ。
 一瞬、そんな暢気なことが過ぎって、すぐに罪悪感が襲ってきた。

 そっか……。熱出ちゃったんだ、最悪。
 迷惑かけないようにと思ってたのに、結局倒れちゃったら意味ないじゃん。

「あ~……あの、風間さん」
「はい」
「私なら大丈夫ですので、貞衣さん達とお食事してきて下さい」
「……は?」
「いや、ほら、まだなんにも食べてないでしょ? 貞衣さん達にも知らせないと、すっぽかした事になっちゃうから。ラインもないんだし」

 私がへらっと笑うと、風間さんはムッとした表情をした。
 あれ、もしかして怒った?

「なにを言ってるんですか、貴女は!」

 呆れるように言って、私を抱きかかえた。
 そのまま寝台の真ん中に寝かしなおし、毛布をかぶせてくれる。

「寝ていなさい」

 風間さんは、子供を叱りつけるように言って、吸水筒の中の鱗をおでこに押し当てた。
 おでこが、ひんやりとする。

「気持ちいい」

 思わず笑みがこぼれる。
 そんな私を呆れたように見て、風間さんはため息をついた。

「……ごめんなさい」
「なにがです? 食事なら、あとで私が行って断ってくるので心配は――」
「いえ、違くて」
「じゃあ、なんです?」

 訝しがる風間さんを見ながらも、瞼がじっと落ちてくる。
 あ~……眠い。

 意識が遠のくのを感じる。
 でも、謝らなきゃ。

「雪村くんのこと、心配ですよね? 速く安否を確認したいはずなのに、際弦につくの一日も遅れちゃったし、こんなことになっちゃって……。でも、明日には必ず治しますから。二、三日休むとかしません、か、ら――」

 言いかけて、意識を失ってしまった。
 言い逃げをされてしまった風間さんが、どんな顔をしていたのかは分からない。