先程貫いていた功歩兵の殆どが、風使いの部下であることをろくは認識していた。
旗印を目安に、その周辺にいる功歩兵を狙ったからだ。しかし、男は部下を殺された怒りを微塵も感じさせずに、へらっと笑った。
「随分と姑息だなぁ。遠距離攻撃なんてさぁ」
「遠距離型が遠距離で攻撃して何が悪いの? アンタだって今やってただろ。ぼくが姑息なら、アンタも姑息だね」
挑発に挑発で返したろくに、男はにやりと不気味に笑んだ。
「それもそうだなぁ」と、カラカラと笑う。
男は辺りを見回した。
戦場の中心地の周辺を幾人かが囲んでいる。
遠距離型の能力者の殆どは、その身を戦場の中心に置く事はない。
置く時は、近距離戦での作があるか、腕があるか、もしくは死ぬ時だ。
ろくは、男をまじまじと見据えた。
近場で見る風使いの男は、ろくが思っていたよりも若かった。
男はろくに向き直り、次の瞬間ろくの目の前にいた。
(――喰鳥竜か!)
判断し終わるよりも早く、男は剣をろくに向って振り下ろした。ろくは手甲でそれを防ぐ。
ギャイイ――と、金属の擦れる音が響き、ろくは剣を地面に受け流した。
「ほう……」と、男は息を漏らした。
今の攻撃は受け流さなければ、腕は簡単に吹き飛んでいただろう。
騎乗からの攻撃を防ぐには、受け流すか、受け止めるしかない。しかし後者は、華奢なこの少年には無理だ。
しかも喰鳥竜と十メートルの距離で対峙して、それをやってのけるとは……。
喰鳥竜は五十メートルを三秒切る速さで走る。
そんなドラゴン相手に、十メートルの距離で瞬時に攻撃を防ぐなど……。
声色と背丈から子供だろうとは思っていたが、中々どうして戦いなれている少年だ――と、男は心底感心し、そして気を引き締めた。
自分が対峙しているのは、初陣に浮かれたただの少年ではない。
立派な戦士だ。
男は二撃、三撃と剣を振るった。
ろくは全てを手甲で受け、流し、四撃目で男が大きく剣を振り翳すのを待って、サバトンに隠しておいたナイフで、喰鳥竜の喉元を切り裂いた。
「ギィアア!」
喰鳥竜は悲鳴を上げて倒れこむ。
男は喰鳥竜を蹴って地面へと着地した。
その際に、目敏くろくの隙を突き、ろくの目の下を切りつけた。
赤い血が僅かに飛び散り、男の口へと運ばれた。男は思わぬ鉄の味に嫌悪するどころか、舌なめずりをして笑う。
ろくは僅かに片眉を上げた。
「やるねぇ、少年。どこで戦を覚えたんだい?」
「功歩軍を殺しまくってだよ」
頬当でくぐもった声ではあったが、からかうような声音の中に男の耳はしっかりとその憎しみを捉えた。
「ほう……」
男はにやりと笑った。不気味な笑みだ。どこか、愉しんでいるようでもある。
「少年よ。誰か身内でも殺されたかなぁ?」
にやあと、表情が歪む。
ろくは心底嫌悪した。
この男は、殺し合いを心から楽しんでいる。
「アンタさ、二年前、美章の稲里(いなさと)って集落の森で、美章兵の女二人を殺したか?」
「……」
男は視線を斜めに動かした。しばし考える風にして、「あ~」と、気の抜けた声を出した。
「殺した、殺した! 一人そこそこ強い女で、わりと楽しかったなぁ。弱い方の女は気絶させて部下どもにくれてやったよ。俺、女襲うのとか趣味じゃないからぁ。でもその途端もう一人の女が気を取られてさぁ、あっさり胸に穴あけて死んじゃったよ。なに、アレ少年の姉ちゃんか――」
なにかなの――?
問おうとした言葉は声にならなかった。代わりに、
「ギャアアア!」
甲高い悲鳴が上がる。
その声が自身のものだと気づいた時には、もう左腕の血管が破れていた。
男は何が起こったのか判らず、ろくを見やった。
ろくは冷淡な瞳で男を見据えていた。
「お前、お前、何をした!?」
慄きながら、男は距離をとった。
右腕を構えて、風を作り出そうと力を込める――と、違和感が生じた。
右腕が熱い。
「なんだ?」
呟くと同時に、血管がボコボコと沸騰したように暴れだし、皮膚を変形させて、真っ赤な液体が腕を突き破って出てきた。
「ギャアア!」
これはなんだ!? ――悲鳴を上げながら、噴出す赤い液体に目を見張る。
どう見ても、血だ。自分の血液だ。
それがどうして、いきなり――?
ひい……ひい……と、男が喘いだ。
呼吸が苦しい。眩暈がする。このままでは、死んでしまう。
男は近づいてくるろくに向き直り、懇願しようと膝をついた。
しかし、低くなった男の肩にろくは足をかけて、蹴倒した。
ドウと、音を立てて男は倒れ、慄く目にろくが映る。
ろくの瞳は依然冷たいままで、なんの感慨も窺えない。
「ぼくの血を飲むとね、体内からでも相手の血を操れるんだよ」
声音から、明るい調子が窺えたが、眼が一切笑わない。
男はぞっとした。初めて背筋が凍ると言う事を体感した。
「たす、助けて! 助けてくれ!」
「……それはないでしょ」
ろくは心底呆れた調子で言って、指をパチンと鳴らした。
「ギャッ!」
途端に、男の体から無数の血液が、針の筵となって男を穿った。
血反吐を吐きながら、全身を赤で覆った男に、ろくは冷たく吐き捨てた。
「殺すだけ殺して、自分は殺される覚悟もないなんて……とんだクソ野郎だな」
ろくは、痙攣が止まった男を一瞥した。
こんな男に、蓮と梓は殺されたのか――そう思うと、やりきれない思いが駆け上がって来る。
ろくは、おもむろに男の剣を拾い、硬く歯軋りを響かせて、その首に剣を突き立てた。
男は何も言わない。
男は何も映さない。
ろくは、絶命した男を睨んで前へ歩みだす。
戦場の中心へと向き直った。



