彼は私が何か言う前に、指輪がどうとか、一着十万の服買ってあげるとか、バックはいる? とか、矢継ぎ早に言葉を発し、その度に私に近寄った。
 そして私は何も言い返せないまま、とうとう奥の本棚まで追い詰められてしまった。

(これ以上、後退できない……!)

 彼の右腕が、私の左頬の近くに置かれた。
 こ、これが世に言う壁ドンか……。
 一瞬どきっとしたものの、全然嬉しくない。むしろ怖い。

「あ、あの……」
 恐怖で思わずへらっと笑ってしまった。
 長身から覗き込まれているため、必然的に上目遣いになる。
 それを勘違いしたのか、彼は私の顎をくいっと指で上げた。
 顔が近づく。

「きゃああ!」
 カウンター席から悲鳴が聞こえた。
 いや、叫びたいのは私の方!

(ちょ、キモい!)

 身をよじる。
 跳ね除けようと、赤井さんの胸を押したとき、

「なにやってんの?」
 冷たい声色が飛んできた。

 聞きなれた声……。
 赤井さんが私から離れて振向いた。
 彼の隙間から、声の主が見えた。

(……クロちゃん)

 ぎくりとした。
 この状況の言い訳をしたい衝動に駆られる。
 クロちゃんが眉を顰める。

「黒田」
「――え?」

 意外な人から意外な名前が飛び出て、私は目を丸めた。途端に赤井さんの表情が険のある顔に変わる。

「ふ~ん……なんでこんなとこにいるわけ?」
「別に貴様に関係ないだろうが」
 赤井さんは敵意むき出しで、クロちゃんを睨みつけた。

「ま、確かに関係ないけど。お父様の凱旋パレードに出席しないで良いわけ? 〝坊ちゃん〟」
「……っ!」

 クロちゃんの侮蔑めいた声音に、赤井さんは不愉快そうに顔を歪めた。っていうか、この二人って知り合いなの?

「胸糞悪い! 帆蔵帰るぞ!」

 帆蔵さんに当り散らすように言って、赤井さんは歩き出した。
 去り際にクロちゃんを睨みつけてから、カウンターのお姉さん達に声を張った。

「白星(シセイ)を入れるなんて、国立も落ちたもんだな!」

 カウンターのお姉さん達は一様に戸惑いを見せていた。
 赤井さんは、ふん! と鼻を鳴らして、憤慨しながら図書館を出て行った。

(なんだったの、あの人は……?)

 まるで嵐のような展開に呆然としてしまう。