* * *

 家へと帰ると、今日も私より早くクロちゃんが帰っていた。
 ソファに深々と腰をかけている。

(なんか、疲れてる?)

「おかえり」
「ただいま」

 挨拶のやり取りをして、惣菜をテーブルに置いた。

「どうしたの? 疲れてる?」
「ん~。ちょっとね」

 テーブルから声をかけると、ソファから見えている彼の後頭部が僅かに沈んだ。ズズ――と、背中で皮のソファを削る音がする。後頭部は完全に視界から消えた。

 黒いフードを被っているので、おにぎりが沈んで行ったようにも見えて、不謹慎ながらちょっとにんまりしてしまう。
 ソファに回り込むと、クロちゃんはソファにゴロンと横になっていた。

「大丈夫? そんなに疲れたの?」
 心配になって声をかけると、クロちゃんが口を開いた。

「翼がさぁ……」
「翼さんが?」
「うっざいんだよね」

 びっくりするくらい、明朗で棘のある声だった。

「そうなんだ?」

 目が点になりながらも、調子を合わせてみる。

「昨日の事すんませんから始まって、これまで隊長は何してましたか、俺がいなくて平気でしたか、彼女とはどうなんですか、やっぱりメイド雇いましょうよ――って、ベラベラ関係あることないこと喋り捲るのなんのって、うざったくって仕方ないよ!」

 言ってるうちに怒りのスイッチが入ったのか、クロちゃんは顔を顰めて、口調を徐々に強めた。

「そっかぁ。……でも、翼さんってクロちゃんのこと大好きそうだもんね」
「は!?」

 クロちゃんは、驚いたように目を丸くした。
 今にも、何言ってんの? と、続きそうに口を僅かにあわあわと動かしている。

「見てれば分かるよ~。翼さんって、クロちゃんの事すごく大切に思ってるじゃん?」
「はあ!?」

 寝転がっていたクロちゃんは、勢い良くガバッと跳ね起きた。
 そんなに驚くことかな?

「なに言ってんの? あんなのただの冷やかしだろ」
「冷やかしのわけないでしょ。どこをどう見たらそうなるの?」
「言葉が悪かった。冷やかしじゃない。からかってるんだ」
「なんでそうなるかなぁ?」

 頑として認めないクロちゃんに、思わず笑いが漏れてしまう。

「なに笑ってんの? むかつく!」

 そう言ってクロちゃんは拗ねてしまった。
 プイッと顔を背ける。

(もう、可愛いなぁ。女の子か、キミは)

 そんなことを思いながら、ふと、クロちゃんのさっきの不満を思い出した。

『これまで隊長は何してましたか。俺がいなくて平気でしたか。彼女とはどうなんですか。やっぱりメイド雇いましょうよ――』

(ん? 彼女? ――彼女ってなに……?)

「クロちゃんって、彼女いたの!?」

 驚いて思わず口に出してしまったけど、次の瞬間後悔がどっと押し寄せてきた。

(うん。いるよ――とか言われたらどうしよう)

 だけど、私の不安は的中しなかった。

「……はあ? なんの話?」

 クロちゃんはこれまでで一番驚いた声音を出した。

「えっと、翼さんが彼女がどうとかって……」

 戸惑いながら言うと、クロちゃんは呆れ返った。

「それ、キミのことね」
「え?」
「キミと一つ屋根の下で暮らしてるから、どうなのってそういう話!」
「えっ、あっ――ええ!? あ、そっか、そっかぁ……!」
「そっかじゃないよ、もう。なんの事かと思ってびっくりしたじゃん」
「あはは。ごめん、ごめん」
 私は苦笑しながらも、内心ではほっとしていた。

(良かった、彼女いなくて)

 弟のようなクロちゃんに、彼女がいたらびっくりしちゃうよ。
 ちょっとショックだよ。
 そう私は自分に言い訳をした。
 この時はまだ、気づいてなかったけど、これは確かに言い訳だった。