私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~


 * * *

「ただいまぁ」
「お帰り」

 ゆりが黒田宅に帰ったのは、夕方になってからだった。

「遅かったね」
「うん。解んない事が多くて勉強してた」
「そっか」

 ゆりは魔王の力を使い、五千人の命を助けた後、言語障害が出るようになった。
 日常会話は問題がないレベルだが、以前は魔王が全てを勝手に訳していたのに、今はそれが行われない事が多い。

 公用語は問題ないが、美章独自の言い回しや、固有名などはさっぱり解らない。
 文字も読めたのに、今では公用語と倭和の文字しか読めなくなった。
 そのため、ゆりは図書館で独自に勉強を始めた。
 仕事の合間を縫って、七々が教えてくれるので、今のところ行き詰る事はない。

「お帰りなさいっす」

リビングに行くと、翼がソファに深々と腰掛けていた。

「あ、翼さんきてたんですね」
「は~い。お邪魔してます!」
「ホント、邪魔」
「ゆりちゃぁん! 隊長ひどくないっすか!」
「あれも愛情表現の一つだから」
「な、なに言ってんの!? そんなわけないだろ!」

 両手でフードを引っ張りながら、黒田が吠える。
 ソファから立ち上がった翼とゆりは、顔を見合わせながら、にししっと笑った。

「なんだよ、バカにして、良いよもう!」
「拗ねないのー!」

 拗ねる黒田の腕に抱きついて、ゆりは笑った。

「コート脱いでくるね」

 暦の上では春になったばかり、まだまだ寒い。
 ゆりは、コートを脱ぎつつ部屋へ向った。
 ゆりが自室に入るのを見届けて、翼は黒田に告げた。

「やっぱ、魔王の力一人、二人分くらいしか残ってないみたいっすね。魂説を採るならっすけど」
「そうだね。これじゃ、魔王の力なんてあったもんじゃない。残った力は通訳のみってことになるね。しかも不完全な」
「じゃあ、岐附への密書どうします?」
「魔王の力は霧散した――で、良いんじゃない?」
「信じますかね?」
「さあね。信じなきゃ花野井自らくるでしょ。でも、あの人のことだからそれはないと思うけど。多分受け入れるよ」
「っすよね」
 翼の同意を聞きつつ、黒田はゆりの部屋を目線で追った。

「なんにせよ。ぼくはもう魔王なんて要らないから」

 黒田の声は、明るく響く。

「ゆりちゃんがいれば――ってやつっすね――痛ぁあ!」

 からかう声を上げた翼の尻を、黒田は思い切り蹴り上げた。
 膝を崩してしゃがみ込む翼を、上から睨みつける。

「すんません」

 翼がへらっと笑うと同時に、ドアが開く音がし、ゆりが階段から降りてきた。
 嬉しそうににまにまと顔を歪ませながら、ゆりは黒田の前に立った。

「実はね、買い物もしてきたんだ。――はい、これ」
「――これって……」

 差し出された物は、黄色に輝く小さな石のペンダントだった。

「そう。福護石! おそろいだよ」

 いつか服のお礼に何かを黒田にプレゼントしようと思っていたゆりは、本日図書館の帰りにふらりと立ち寄った店で、これを見つけた。

 お金も大分貯まってきたところだったので、思い切って購入したのだ。
 喜んでくれるかな? と、わくわくした心持のゆりに、一瞬だけ目を丸くしていた黒田が、意地悪に笑んだ。

「……知ってる?」
「え?」
「永国では、おそろいのアクセサリーを身につけるって事は、夫婦の証なんだってさ」
「え? そうなの?」

 驚くゆりの手から黒田はペンダントを取って、自分で身に着けた。

「これで、夫婦だね」
「……意図したわけじゃないんだけど」
「ぼくと結婚するのイヤ?」
「イヤじゃないよ」

 照れながら否定するゆりに、じゃあ――と、黒田は微笑んで、跪く。
 ゆりの手を取った。

「ぼくと、結婚してよ」

 ゆりを真っ直ぐに見据える。
 照れと戸惑いで二の句が告げないゆりは、黒田の瞳の奥に不安な色が映し出されたのを見つけた。

「絶対ぼくが、幸せにするから」
「ううん」

 言って、ゆりはかぶりを振った。
 一瞬、黒田の目に哀しみが宿ったが、すぐに掻き消える事が起こった。
 そのままゆりは、倒れこむように黒田の唇を奪ったのだ。
 驚く黒田に、ゆりは囁いた。

「二人で幸せになろうよ」





     (了)