* * *

 その夕方のことだった。
 暦の上では冬が明けた頃だったけど、まだ寒々しさが残る季節の中で、珍しく明るい空だった。
 まったりと二人でソファに腰掛けていた時だ。
 まどろんだ空気が、ドアを激しく打つ音と共に破られた。

「ぼくが出るよ」

 立とうとした私を制して、クロちゃんがスッと立って玄関へ向った。
 ドアが開く音がして、

「空……」
「隊長! これを!」

 玄関から、空さんの緊迫した声が響いてきた。

(……なに? どうしたの?)

 私は少しだけ不安になりながら、ゆっくりと立ち上がって玄関へ向った。
 クロちゃんは、手紙を食い入るように見ていた。

「どうしたの?」

 私が声をかけると、クロちゃんは眉根を寄せて呟いた。

「甲説っていう、功歩との国境沿いの要塞が落とされた」
「……え?」

 一瞬頭が真っ白になる。
 それって、つまり――。

「功歩軍が侵攻してきたってこと」

 呆然とする私を見ずに、クロちゃんは冷静に言う。

「……じゃあ、まさか、戦争が始まったってこと?」
「そうだね。休戦条約は破られたね」
「……」

 絶句する私に、クロちゃんはぽつりと告げた。

「今から向うから」
「え?」

「甲説の先には猿(エン)っていう結構大きな城塞都市があるから、今から行かないと大勢の犠牲者が出るんだ。猿に入る前に追い払わないと」
「クロちゃんが――」

 クロちゃんが行かなきゃいけない事なの? 私はそう叫びだしたかった。でも、それを彼の目線が止めた。
 
 強い瞳だった。どこか、活き活きしているような。
 目の奥で光が生まれたような、そんな目。
 
 人間を憎んでいたりしても、守った美章の人から悪し様に言われても、結局誰の事も放っておけないのよ。クロちゃんって。
 まあ、戦うのが好きなだけかも知れないけど。

 考えてみれば、東條(おとう)さんが命を燃やした仕事なんだもん。クロちゃんが嫌いになれるわけもないのよね。
 結局クロちゃんは、自分の職に誇りを持ってるのよ。
 もしかしたら、まだ恨み足りなくて功歩軍を蹴散らしたいだけなのかも知れないけど……。
 私は密かにため息をついた。

「……気をつけてね」
「うん。行ってくる」

 クロちゃんはにこりと笑って、私のおでこにキスをした。
 そのまま手を振って、玄関のドアが閉められた。
 私は締め付けられるような不安から、手を合わせる。
 神様がいるのなら、どうか彼を守って――。