* * *

 長い階段を下り、地下街へ出ると、昼間の地下街とは確かに様子が違った。まず人が、昼間や夕方ほどいない。店先の商品が片付けられ、閉店している店ばかりだ。
 広い大通りが寂しげで、オレンジ色の照明が、夕暮れのように切なげに見えた。

「本当に店なんてやってるんですか?」
 私は振り返って原さんに尋ねた。
 原さんは、地下入り口の番兵と敬礼を交わしていた。
 そして振向いて、

「やってますよ。夜は路地裏の店が開くんですよ」
「へえ」
「大通りにも、昼夜兼用の店はいくつかありますけど、少数ですね」
「そうなんだ」
 私は軽く頷きながら、毛利さんの姿を探した。

「いた!」
 大分離れているけど、大通りを歩く姿を発見した。
「行きましょう!」

 私は勇んで、小走りに後を追った。
 その後を、原さんが慌てて追いかけてきた。
 つかず離れず、見失わない距離で尾行していると、「おかしいな」私の頭上で、訝しがって原さんがぽつりと呟いた。

「なにがです?」
「毛利様は勘も鋭い方だし、尾行に気づかないはずは無いんですけど。絶対見つかって連れ戻されるとふんでたのに」
「そんなこと考えてたんですか」
 白い目で見ると、原さんは苦笑した。

「あ、いや、あはは」
「でも、じゃあ、なんで気づかないんでしょう? 気づかないフリとか?」
「……さあ?」

 原さんと首を傾げあったときだ。
 毛利さんが大通りを外れて、路地裏へ入った。
 私達は慌てて後を追う。

 路地裏を覗くと、毛利さんが一軒のお店に入るのが見えた。
 その腕を引くのは、背の低い女性。
 私の心音が、一瞬跳ね上がった。

「意外だなぁ。毛利様って、こういう店いかないイメージだったんだけど」
「ここって?」
「ああ、うん。女の子に説明しにくいな……」
 原さんは、ぽつりと気まずそうに独りごちた。

「その、えっと、成人男性しか入れないお店だよ。いわゆるその……売春宿」
尻すぼみに小さくなっていた声音は、最後は消えうりそうだった。
「……へえ」
 私は引きつった笑みで呟く。

「さすが、大人だよね。ふ~ん。そう、もう良いや。帰りましょう。こんなとこ、私がいたんじゃ入れませんもんね」

 私は早口で言って踵を返した。
 後ろで、原さんが狼狽する気配がしたけど、私は構わずに早足で歩いた。
(なに、なんで私、動揺してるわけ?)

「なんでこんなに、腹立たしいの?」
 歯軋りして呟いた時だ。
 私は何かに跳ね返された。
 顔面に激痛が走って、尻餅をつく。

「イッタァ!」
 鼻を押さえて、見上げると、太った大男が立っていた。
 その脇には、痩せた小男が目つき悪く私を睨んでいた。

「大丈夫かな、お嬢ちゃん」
「あ、はい。どうも」
 大男が、私に手を差し伸べて、私はその手を借りて立ち上がった。

「谷中さ~ん!」
 後ろから原さんが走ってきた。
「どうもすみません」
 原さんが、明るく謝ると、大男はかぶりを振った。

「いやいや、良いんだ。僕が太っちょだから、弾いちゃってごめんね」
「いや、良くねえよ! 何謝ってんだ!? おい女! どこに目つけてんだ!」
 食って掛かるように、小男がキーキー喚いて、私を指差した。
「すいません」
 頭を下げると、小男にいきなり腕を掴まれた。

「謝るなら誰だって出来るんだよ! ちょっと付き合え!」
「え!」
「ちょっと、待ってください!」
 引っ張ろうとする小男の間に、原さんが割って入った。

「こちらは謝罪してるでしょ! これは違うんじゃないですかね?」
「うるせえ!」
 小男が吠えた瞬間、原さんは弾かれたように、後方に吹き飛んだ。
「え!?」

 唖然としながら、弾かれた原さんを振り返って、すぐに小男に視線を戻すと、小男の口から、空気が震えているような気配が感じられた。
 それは一瞬で消えて、小男は不敵に、にやりと笑んだ。

「やめようよ」
 大男が、狼狽して小男を止めようとして、怒鳴りつけられる。
「うるせえ! お前もくらうか!?」
「ひっ!」
 小男は大男に向って大口を開けた。そのとき、
「……てめえ! やりやがったな、この野郎!」
「ひっ!」
 背後から盛大な怒声が響いて、今度は私も大男と一緒に小さく悲鳴をあげた。

「お? やるか、兄ちゃん!」
「やらいでか! コラァ! 死にさらすぞ!」
 え……?
「ちょ、原さん?」
 いつものようすと全然違う……。
「うるせえ! 黙ってろ!」
「きゃ! ごめんなさい!」

 思い切り怒鳴られて、私は思わず謝った。
 すると慌てて大男が庇うように、私を連れて数メートル下がった。
 そのまま原さんと、小男は睨みあった。
 一触即発の緊迫した空気が流れ、二人がゆっくりと動いた、その瞬間。

「やれやれ、女の子が脅えてんじゃねぇか」

 突如呆れかえった声が、二人の間に割って入った。
 声の方向には、一人の男性がいた。
 男性は壁に背をつけて、腕を組んでいた。
 オレンジ色の瞳に、薄茶色の長いまつげ。濃い茶色の髪。千葉の人に珍しく、洋装だ。白いシャツに、派手なベストを着ている。若干、ホストみたい。
 彼は、微笑を讃えながら、ゆっくりと背を壁から離した。

「レディを怖がらせるなんて、それでも男かねぇ。諸君」
「あ!?」
「なんだテメぇ!?」

 原さんが睨んで、小男が吠えた。
 すると、男性はすっと片手を挙げた。
「?」
 優雅な動作に、みんなが彼の指を見た。
 彼の指は、丸く円形に合わさり、パチンと弾けた。
 その途端、

「オイお前ら!」
「そこを動くな!」
 怒声を張り上げながら、数十人の人達が武器を持って押し寄せてきた。
「え? なに、なんなの!?」
「警察(サッカン)だ」
「え?」
 戸惑う私の頭上で、大男が青ざめて呟き、小男が叫んで走り出した。
「ちくしょー! 逃げろ!」
 原さんも私の方に駆けてこようとしたけど、小男に押し出されて武器を持った男達に囲まれてしまった。

「原さ――え?」
 駆けつけようとした腕を捕られて、気づいたら私は走らされていた。
「逃げるぞ」
 あの男性だ。
 走りながら振り返ると、大男も警察(サッカン)と呼ばれた人達に取り囲まれていた。
「地下街でのケンカはご法度だぞ!」
 男性は楽しそうに叫んで、高笑いした。