「……だったらいいんだけど……あら、貸出カードが落ちてるわ。ちょっとカウンターに持っていくね」

ほんの少し表情を曇らせて、梨乃がその場を離れた。

「わかった。じゃあ残りの作業を進めておくね」

返事をして周囲の本を戻し終え、脚立の一段目に足をかけた時、背後に人影を感じた。


「梨乃? どうしたの、忘れ物?」

この一番奥の書架から貸出カウンターまではそれなりの距離があるし、そんなにすぐには戻れないはずだ。


「そうだな。俺の大事な忘れ物を引き取りにきたんだけど?」


その低い妖艶な声にギクリと背中が強張った。

周囲の雰囲気が緊張を孕んだものに変わる。


大きな手が脚立に乗っていた私の腰に背後から触れる。不機嫌さを隠そうともしないのに、私を抱き上げて床に降ろす手は壊れものを扱うかのように優しい。

こんな仕草を当たり前のようにできる男子はひとりしかいない。


そのアンバランスさが胸をついて、嫌な汗が背中を流れる。


「……さっきの話はなに?」


振り向くとそこには艶やかな笑みを浮かべた雪華が立っていた。

トン、と綺麗な長い指が私の耳の両側を掠めて書架に置かれた。背中が書架にぶつかり、しなやかな両腕に囲われて逃げ場がない。