あれから一ヶ月ほどの時間が流れた。
紅龍と蒼龍はあの時、そのまま翡翠を連れ出した。
そして宮殿から一番離れた別宅に移り住んだ。
本当は宮殿から外へと連れ出そうと思っていた。
しかし数日後、翡翠が倒れたのだ。
その為やむなく、ここに移動してきた。
ここは本殿からかなり離れている。
龍王や貴族たちと極力会わない場所。
翡翠の体調を考えると、あまり動かせたくはない。
翡翠の身体と心は限界にきていた。

死んだように眠り続ける翡翠。
それを心配そうに見守り続けるニ人。
毎日毎日、ずっと側で回復を願った。
ただただ眠り続けるスー。
眠る事で現実から避けているのかもしれない。
龍族からしたら白龍との繋がりの方が望まれる事だろう。
起きていたら、嫌な噂も嫌な思いをする事になるだろう。
そして見る事になるだろう。
龍王の隣にいる白龍の姿を。

「・・ぉう・・」
時折苦しそうに紡ぐ言葉は名前だった。
無意識に心から望む温もりは、心から求める存在は龍王。
自分から龍王の、龍族の幸せを願い離れた翡翠。
人の幸せばかりを願う翡翠。
・・・一体スー自身の幸せはなんだろう?・・・
優し過ぎる心。
相手を想いやる心。
そしてそれを貫き通す強さ。
龍王の幸せだけを願う。
自分の犠牲さえもいとわない強さ。
どれだけ我慢をしてきた事だろう。
自分の本当の気持ちに蓋をして。
不安で心細くて仕方がない筈だ。
今一番に側にいてほしいだろうに。
肝心なその龍王は白龍と共にいた。

ただ眠り続けるしかないのだろうか。
それは龍王の幸せの為。
龍族の未来の為。
このまま消えてしまうつもりなのかもしれない。
このまま消滅するつもりなのかもしれない。
「これでいいのか!!!
スーのこの思いを無いものとしていいのか?
いや、そんな事は駄目だ。」
と紅龍が叫ぶ。
「そんな思いを抱いたまま哀しく、寂しい思いをさせたまま。
消えさせてはいけない。
消えさせたくはない!!!」
と蒼龍も言葉にだす。
「もうすぐ消えてしまうのなら。
最後ぐらいはスーの我儘を叶えてもいいだろう。」
「そうだ。
このままなんてあんまりだ。」

素直の心のままに、変わらない思いのままに。
ニ人は龍王に話に行く決意をする。
スーの思いを無視する事になるが、これ以上は耐えられない。
スーには笑っていてほしいから。
スーの笑顔の為。
かけがえのないスーの本当の気持ちを龍王に伝えたい。

ふと自分の人間らしい考えに驚くニ人。
俺たちはスーから沢山の新しい感情を教えてもらった。
それはとても心地よいものばかりだった。
これまでの冷え切った心に暖かさを教えてくれた。
温もりを教えてくれた。
ニ人とも同じ考えだったようだ。
言葉を交わさずして頷く。
眠っているスーを確認すると龍王のいる、本殿へと足を進めた。

本殿の龍王の部屋。
白龍は自分の部屋のようにくつろいでいた。
龍王は無関心に瞳を闇を移したまま窓の外を見ていた。
見つめる先は、翡翠が移り住んだ別宅の方だった。

私は日に日に何をするにも、やる気を失くしていった。
龍王としてこの力。
地位を維持する為に嫌な王としての責務を果たしてきた。
力を見せつける事で、翡翠を守ってきた。
私を動かすものは、全て翡翠に関係する事だった。
私の原動力は全て翡翠の繋がっていた。
翡翠の事以外で自分が自ら動いた事はなかった。

距離と時間が経過した今。
嫉妬で熱くなっていた気持ちは静寂を取り戻していた。
そして思い出すのはやはり翡翠の事だった。
怒りにまかせて詰め寄った時の翡翠。
恐怖で固まっていた表情。
何の感情もなく接する他の者たちが自分に見せる、恐怖心からくる震え。
脅えた身体。
あの時私から初めて、恐怖心を感じていたようだった。

あんな顔で私を見てほしくない。
他の物からならともかく、翡翠からはあの瞳で見られたくはなかった。
そして嫉妬心から翡翠に酷い事を言ってしまった。
深い後悔の念が気持ちを沈ませる。
ただ怒りに任せて出た言葉。
深く傷つけてしまった。
そして何よりも私自身が恐怖を与えてしまった。

あれから何も言ってこない翡翠。
龍王はあの自分への恐怖心から、避けられていると思っていた。
だから自分から近づく事を躊躇した。
また怖い思いをさせたくない。
そしてそれ以上に紅龍との関係。
自分ではない者を受け入れていた翡翠にショックを受けていた。
そして今でも、紅龍と口付けを交わす場面が頭に焼き付いている。

しかしそれを見た今でも、翡翠への気持ちは変わる事はなかった。
私の気持ちはぶれる事なく翡翠に向いている。
この想いだけは、この先変わる事はない。
翡翠が側にいなくなって、触れる事が出来ない時間。
この時間がなんて色のない空しい、意味のない時間なのか。
私がどんなに翡翠を必要としているか。
私がどんなに翡翠に執着しているか。
どんなに愛しているか。
離れている時間が、私の中の翡翠の存在の大きさを思い知らされた。
だからこそ、またそんな場面を見てしまったら。
次はどうなるかわからない。
自分自身を保っていられるかどうかさえ分からない。

「龍王さま?
いつ私を皆さまに花嫁として公表していただけますの?」
私が座っているソファの横に擦りより甘い声で話かける白龍。
当たり前のようにそんな事を言いだす。
聞こえている筈なのにその問いの答えは聞こえない。

その時、ドアを叩く音がした。
「誰だ?」
ドアの向こうで声がする。
「紅龍だ。」
「蒼龍だ。スーの事で話がある。」
了解も得ずに開けられたドア。
ニ人の龍が勢いよく入ってきた。
ニ人は同様に龍王にすり寄る白龍を見て、怒りの表情を見せる。

「昼間からお盛んなようだな。」
紅龍は初めから交戦的な態度だった。
「お前こそ、スーと毎日している事だろう?」
龍王も一歩も引く気はない。
「何か誤解しているようだから、スーの名誉の為に言っておく。
スーの気持ちに迷いはない。
今もお前だけを思って眠っている。」
ねむる?
「どういう事だ?。
スーはお前を選んだのではないのか?」
紅龍を受け入れていた涙の口づけ。
ではあれは何だと言うんだ。

「俺はスーに好意を持っている。
俺がスーの隙をついただけだ。
弱くなったスーに付け入っただけだ。」
何を言っている?

「スーって人間は紅龍さまを選んだのでしょ?
だったら私と龍王様の仲を邪魔しないでいただけます?」
少し怒った様な顔をする白龍。
綺麗な顔が少し険しくなった。
いつもいるお付きの者なら、すぐにでもご機嫌をとっていただろう。
顔色を伺い、謝り続けていただろう。
産まれた時から欲しいは全て与えられてきた。
周りの者から大切に育てられてきた。
病気をしていた事も踏まえても白龍の言う事。
行動を止める者などいなかった。
だれもがまるで腫れ物でも扱うように、大事にされてきた。
自分を否定する者などこの世には存在しないとさえ思える程に。
どこまでも傲慢な白龍。

急に会話に入ってきた白龍に、そこにいた三人。
黙れと言わんばかりに、一様に睨みつける。
「なぜそんな顔を私に見せるの?
私は白龍なのよ。
龍族で唯一の女性。
貴重な存在。
大切な存在なのよ。
なのに、なに、なんなのよ!!
みんなして私にそんな顔して、のけ者あつかいして!
もう知らないから、どうなっても知らないから!!!!」
泣きながら部屋を飛びだす白龍。

我慢して付き合って来たが、今は白龍に気にかけている暇はない。
龍王は白龍を目で追う事もなく俺たちの言葉を待つ。
そして蒼龍も何事もなかったかのように話しを始める。
「スーの命が消えようとしている。」
そして衝撃的な事実を知る。
消える?

「どういうことだ?」
「スーの父親に連れ去られた時にかけられたらしい。
呪が解けた瞬間から発動する術。
少しずつ、命が、魂が消滅していく術。」
翡翠がいなくなる?
消滅?
翡翠が死ぬ!!!!?
いなくなる? 
嘘だ!
そんなのは嘘だ!!

「スーは龍王の為に、龍族の為に身を引いたんだよ。」
「考えてみろよ。
誰から見ても、同族である白龍と結ばれる事が望ましいと考えるだろう?。
スーはこれは龍王の未来の為だと。
同じ時間を過ごす事の出来る白龍の方が、相応しいと思ったそうだ。」
明かされる真実。
なんだ、それは。
私は龍族だとか、龍王だとか周りの意見なんて関係ない。
龍王という立場や地位など、翡翠の存在に比べたらないも等しい事。
翡翠だけの為に私はここにいるだけだ。
翡翠は私の物だと誰もに知らしめる為にここにいるだけだ。
翡翠がいなければ、何も意味を持たない。

なおも蒼龍が翡翠の気持ちを話す。
「スーは怖かったんだそうだよ。
消えていく自分の未来がね。
怖くて、寂しくて、不安だったって。
龍王からせっかく助けてもらった命。
それが消えていくのが辛いって。
そしてそんな姿は見せたくないって。」

攻撃的な口調で今度は紅龍が言葉を続ける。
「俺がスーにした行為を謝るつもりはない。
そしてスーに対する気持ちを隠すつもりもない。
俺は俺がしたいようにしたまでだ。
スーがお前の事で弱くなった心につけいった。
本気でお前から奪うつもりで。」

「なに!!!」
「スーの心は不安でいっぱいだった。
それなのに、お前の薄汚れた嫉妬心でスーの本当の気持ちを疑った。
信じる事をしなかった。
突き放した。
スーがどんなに傷ついたか!
お前にはわかるか?
それでもお前の幸せだけを願い。
龍族の事を思い。
何も言わず身を引いたんだ。」
興奮した赤い顔。
紅龍の元々赤い顔は一段と赤みを増していた。

今度は蒼龍が静かに話す。
「スーはあの後すぐに倒れたんだ。
それからずっと眠っている。
時々苦しそうに龍王の名前を呼んでいるよ。
私たちでは駄目なんだ。
悔しいけど私たちの力ではどうする事も出来ない。
スーが心から望んでいるのは龍王なのだから。
会いに来てあげて。
嫉妬とか周りの龍族の事とか全部、取り払って・・・。」
蒼龍にとっても自分の巫女にとまで想った人だ。
スーの事を想えばこそ、大事だと思えばこそ。
今はスーの気持ちを一番に考えてあげたいのだろう。
今は自分の幸せよりもスーの笑顔を取り戻したい。
蒼龍の悲痛な叫びにも似た言葉が胸に響いた。

私は蒼龍の言葉を全て聞き終わる前に部屋から飛び出した。
翡翠。
ひすい。
ひ・す・い!!
頭の中は翡翠の事でいっぱいだった。
龍王として地位だの、龍族が、紅龍との事、嫉妬。
そんな事は全部関係ない。
翡翠を手に入れて側に置いて、安心し過ぎていた。
もうすべて自分の物だと過信していた。
絶対に私から離れる事はないと勝手に思っていた。
人のことばかり考える。
いつも周りの事、私の事ばかりに気を使い行動する翡翠。

酷い言葉を言った、あの時。
翡翠が私を諦めたように見ていた瞳。
あの瞳に全て答えがあったのに、私はずっと一緒にいて何をしていたんだ。
何も感じないような表情をさせてしまったのは私だ。
不安にさせ、あんな酷い言葉まで浴びせてしまった。
なんて事をしてしまったんだ。
私が嫉妬に怒り狂っている間、翡翠は深い恐怖と不安と闘っていたんだ。

翡翠はまた私を受け入れてくれるだろうか?
こんなに酷いことをした私を。
走るその間、ずっと翡翠の無表情な顔を思い浮かべていた。