穂海の柔らかい表情にほっとする。

今思えば、穂海が思い詰めていた頃は穂海はいつも表情に少し力が入っていたように思う。

でも今日はそんな様子はないから、もしかしたら少しは気持ちが楽になってくれているのかな。

今日俺が折り紙を持ってきたのにはいくつか理由があった。

ひとつは、作業療法で心を落ち着けてもらうこと。

人は何かの作業に没頭していると、あまり他のことに気が向かず、穂海のような子の場合は余計なことを考えずに済むので、マイナスなことを考えずマイナスな感情になることもあまりない。

ふたつめは、穂海に存在意義を与えてあげること。

穂海は、現状とても自尊心も低く自分の存在意義を見失っている。

だから、穂海にボランティア活動をしてもらった。

人は、自分では存在意義がわからなくても、人に必要とされているとわかると、少しずつ存在意義を感じてくるものだ。

本当なら、人が生きていることに理由なんて必要ない。

時として自分に何ができるか見直すことは必要かもしれないけど、基本的には自分のやりたいことを楽しむのが人生だと俺は思っている。

でも、時には穂海のように常に自分の存在意義、理由を考え続けて苦しくなってしまう人もいる。

その原因は様々だけど、常に理由を問い続け、答えを求め続けるのはしんどいと思う。

だから、穂海の心が少しでも楽になってもらうために今穂海がここにいる理由をつくったのだった。

それが功を奏したのか、今の穂海はとても楽そうだ。

とりあえず、よかった。

この調子で、少しずつ精神状態が安定してきたら退院も見えてくるだろうな。