「お父様の…?」

「ああ。まだ私が新米だったころ、彼女に救われたことがあった。それ以来私はラティスに惚れていてね。彼女の過去も実は知っていたのだが、彼女はこちらが滅入るぐらい反省していたし、毎日毎日祈りを捧げていたんだ。惚れた弱みというものだろう。私は彼女の罪を誰にも言わずさりげなく励まし、知らないふりをして彼女と添い遂げたのだ」

オケアテスはそう懺悔し、最後に力なく微笑んだ。

「さあ、エアリウル。私を刺しなさい。私を彼女の元へ送っておくれ」

エアリウルはそう言われたものの、短剣を両手で握り締めるだけでなかなか動かなかった。
それに苛つきを覚えたイゲウルが野次を飛ばす。

「おいおいエアリウルどうした? 憎きオケアテスが目の前で殺してほしいと懇願しているんだぞ?」

「………せん」

「ああ? 聞こえねえなあ?」

「できません、と申し上げました」

「おまえ、この期に及んで何をほざいてやがんだ?」

間延びした口調と大声で煽ってくるイゲウルに対し、エアリウルは振り返った。
彼女は鋭い眼差しで兄妹たちを睨みつける。

「お忘れですか。私がハープを持っていることを」

「それがどうしたってんだよ!」

「こうするんです…!」

と、短剣を投げ捨てハープをその手に出現させると、慣れた手つきでそれを奏で始めた。

すると、神殿の周囲を泳いでいたサメたちが窓から次々と侵入し一斉に三人に襲い掛かってきた。
サメの口には鋭利な歯がずらりと光り、怯えたように三人は足や腕を振り回す。

「な、なんだこいつら! やめろってんだ!!」

「こんなことさせてどうすんのよ! 生物に神を殺させるなんてそれこそ大罪よ!?」

「……痛い」

パニックに陥る三人を尻目に、エアリウルはオケアテスを振り返った。
彼は繰り広げられる悲惨な光景を目の当たりにし、悲し気に顔を歪ませている。

「なんてことを…」

「大丈夫です。殺しはしません」

彼女はハープを手にした瞬間、悟った。

(ああ…そうか。サメたちは怒っているんだ)

サメの胎児は母親のお腹の中で共食いをすることがあり、弱肉強食の世界で生き残るために生じた習性だ。
そして生き残った強い個体だけが母親の胎内から生まれてくる。

「同じ目に合わせるだけですから」

エアリウルにそう言われ、オケアテスは突然ハッとし自身の体を見下ろした。
いつの間にか短剣が消え、よく見ればサメの何頭かがそれを口に咥え襲い掛かっていたのだ。

「彼らも悪人です。水死した人間たちの魂をサメに輪廻転生するよう工作し、そして胎内で毎回食われるようにしていました…だからお父様。お父様はもう解放されていいのです」

と、エアリウルは嬉しそうに父親に抱き着いた。

オケアテスは愛娘を咄嗟に抱き留め、自由になった両腕を見下ろす。
さっきまで拘束していた枷が嘘のように消え、傷痕だけが赤く残っていた。

二人はそのまま神殿を離れ、再会を何日も喜びあった。

そうして彼女たちは各海域を転々としながら仲睦まじく暮らし、幾年の年月が流れたころ。

「エアリウル…死ねええ!!」

サメの猛追を受けボロボロの体となったイゲウルが突然姿を現し、彼女の心臓を背後から何度も短剣で突き刺した。

「エア…!」

振り返ったオケアテスが鬼のような形相で愛娘の名前を叫ぶ。

「お父様…どうか、お元気で…また、いつか…」

(いつか、また会う日まで)

彼女は涙をこぼしながら柔らかく笑いかけ、重力に抗うこともできず暗黒の海底に沈んでいった。

その後、オケアテスはイゲウルをなんとか魚の姿に変えるとすぐにエアリウルを探したが、その生涯をかけてもついに見つけることは叶わなかった。