クスクスと、擬音のような音がする。
声が聞こえる。
当たり前だ。
側に、人が居るのだから。
不意に思った。
私は何の為に闘ったのか。
たった独りで。
家族のため、国のため、文化や継承されるべきモノのため。
表面だけの理由ならば、いくらでも善を語れたはずだった。
この国が可笑しいのか、自分が非国民なのかは知らないが、
何しろ、わからない。
確かに、理由ならある。
でも、それが自分勝手に生きていきたい願望を1つだけ持ち出せば、
全く無意味な言語の羅列に聞こえるだけ。
語りも、それに飾りも必要ない筈なのに、人びとは恥ずかしげもなく、それを誰かに伝えたがるのだ。
まあ、誰かの為ならまだいいが。
私が憂いているのは、その伝達手段と相手というのが余りにもかけ離れ過ぎているということだ。
神様。
かみさま、かみサマと...。
本当に耳障りだ。
居るわけない。
信じる、信じない、分からないのいずれでも別に良いのだが。
自分は見えないことだから関係ない。
つまり、どうでもよいという風に思う。
どうでもよいのなら、好奇心も、必要以上の欲望も要らないし、贅沢などする方が不快だ。
開き直ってしまうことが出来れば、たったひとりで何百人、何千人の相手と戦うことだって別に可能な筈だ。
力なら、あるから。
たったひとりでも別に悪いわけじゃないし。

では、何故今さら『何の為』などという疑問を持ったのか。
何故、そんないらないことを思うのだろう。
意味などないと、最初から分かっているのに。
「お前は...人だよな。」
確かめるように問う。
人はまだ、笑っている。
「それとも、もう使命も、慈悲も、忘れられた楽な存在を望むか。」
子供だ。
また、子供。
でも、生きた子供を見たのは始めてのことだ。
「私は、そんなことは望んでいない。しあわせに生きれればそれで良かった。」
何がそんなに可笑しいのか、声を裏返すほど高い声で笑っていた。
「ほらあ、だって、誰もいないでしょ。知っている人も、生きている人も。居るのは『神様』。あなただけよ。
何で私たちがあなたの救いを望むような愚かなことをしたんだと思う?
どうなるかなんて、わかりきったことなのによ?」
そうするしか、なかったから。
あらゆる行動には、その理由がついてくる。
「ただ、 証 が欲しかったの。私たちが幸せになれる、そのための許しを得る為に。本当はこの国なんて、この世界なんて、どうでもいいのよ。
ただ、どうせ檻の中なんだから、快適に暮らせればいいだけで。」
自分は自分しかいないのだから。
自分で、生きていけばいいのに。
感情があるなんて、こんなに粗末で、絶望的な生き物がいるのだろうか。
「でも、もう駄目よ。もう、此処は昔とは変わってしまったんですって。
神様なんて、いないんだって。もう、私たちに救いの道は残されていないのよ。悲しいことだわ。とても、とても...。」
涙を、流す術すらも忘れてしまったのだろうか。
また狂ったように笑っている。
それとも、失望なんてものが常に成りつつあるこの国で、泣く必要はないからなのか。

「お願いがあるの。私を殺して。」
間もなく、狂声は止まった。
これが、呪いというのだろう。
そういう顔をしていた。
それで、気づいたことだが、子供の衣服の色は先程、外部から染まったものなのだと悟った。
「私のお家はね。代々悪い人を殺す仕事をしていたんですって。
昔はそれってとても嫌な仕事で、私達も嫌われていたんだけど、今は悪い人は多いし、その人を、あの人を...なんていう風に恨みを晴らして楽しむ人がたくさん。中には自分から殺してくださいなんて訪ねてくる人も後を絶たないわ。
人を殺すだけでたくさんのお金と、モノと、ほしい人だって手に入れることができたの。」
もう、聞きたくないと思った。
自分にだって思慮はある。
それでも、嫌だと思った。
「ある時、何も欲しくないと私は思ったの。私も人間だから、こんな汚いことしたくないって思った。でも、私の父と母は、そんな気持ちを失ってしまっていたの。だから、もっともっとって...。
最終的には、知らなくていいこと知っちゃったから、死んだの。
私だけ残されて。」
刹那の事だった。
刃先が発した鈍い音と、思ったより軽く、ゴトっという音がした。
「ごめんなさい。私が殺すことを躊躇ったことはあるけれど、それでも私はこうしなくちゃいけなかった。」
見下して、告げた。
「私はきっと貴方より強いわ。それで、私は貴方を恨んでいる。
だから、貴方を、神様と呼ばれている貴方を、殺すことだって出きるのよ。それでも、貴方が私を殺すことを躊躇うならば、私だって、貴方を殺すわ。」
何度も殺すと、叫ぶように言う少女は、冷酷で憂いの象徴のようにも思えて。

そして、美しかった。
小さな少女は、子供とは思えないくらい、言葉の調子が細やかに変わっていく。
それは、まるで舞台の上で必死で演じられるヒロインの姿。
はたまた、最期は滅びゆく、悪行の心を掛け合わせたような何か。
世界はとても愉しげに、それで、遊ばれている私たちは、単なる役者に過ぎなかったということだ。
少女の殺す、という言葉は、その理に逆らうものなのか、諦めているのかは分からない。
「私は、神などと呼ばれた自分に嫌悪を抱いていた。それでも、国に神は必要だと。私は独りで闘った。叫び、惑い、そして国民達の願いから。
かつては神の国と呼ばれた、この広大な大地もと今は小さな荒れ果てた荒野。伝統も、かつてはそれを押し退けて栄えた文明さえ、今は何も残っていない。」
私がそう嘆くと、少女は表情も変えずに、実に俊敏な動きをした。
気づけば、重くて長い刀が、私の首もとにあった。
「そんな戯れ言はどちらでもいいこと。躊躇うならば、私は神を殺す。神でもないなら、尚更。
本能を忘れたか。ヒトとして。愁いを持つなら、それはただの道化に過ぎない。
御願いだから、せめて、俺と同等だなんて思わないでくれ。」
私が、それについて何か思考する前に、一陣の風が吹いた。
本能...か。
本当にその通りだ。
私はヒトとして、当たり前の防御をした。
自分を守った。
私は、少女が向けた、刃先を手に取り、そのままねじ曲げる。
それはやがて、呆気なく折れてしまった。

少女はそれに対して、表情一つ変えずに、私の方へ、凄まじい速さで向かって来た。
まだ斬れる。
まだ殺れる。
でも、私は死にたくない。
出来れば彼女も殺したくはない。
悔いがある訳ではない。
自分の為に生きたい訳でもない。
何がしたいのかは分からない。
まだやれる。
まだ生きる。
まだ、生きることができる。
私は、彼女の襟元へ、折れた刃先を向けた。
この形状のものは、私に馴染みがあるから、非常に使いやすい。
「お前は、生きたくはないの。それならもうヒトじゃないのね。」
生きたくないのなら、ヒトじゃない。
それは、多分違うけど、私は少女にそう問いかけた。
その時、何故か少女の瞳が見開かれるのを見た。
「分かった。貴女の願いはくべましょう。」
少女は不快そうに目を細めた。

「やっと起きたか。随分と幸せそうな奴だな。」
柘榴が、目を細めて僕を見つめてきた。
急に、空を見上げていたら、足の力が抜けて、倒れてしまったことは覚えている。
「悪いな。外観かなり不安な場所だろうけど我慢ぐらいしてくれ。」
また空を見た感じ、光が入ってきているから夜まで眠った訳では無さそうだ。
でも、少し暗い。
「路地裏なんて来たことないか。王子様は。」
皮肉っぽく言って溜め息をつく様子からして、少し機嫌が悪いのだろう。
「柘榴は眠くないの?」
僕が訊くと、柘榴はさらに眉を潜めた。
「俺が何故機嫌が悪いのか分かるか。俺にとって一番嫌なことは、充分な
睡眠が取れないことだからだ。」
「なら、寝ればいいんじゃない?」
僕は柘榴にそう提案したものの、環境という環境がこういう状況なので、実行することは出来ないなと思った。
「別にそれでもいいけど。そしたらお前、自己防衛くらいしろよ。
ここ危険だからな。マジ、死ぬぞ。」
そう言って柘榴はヒビが入った住宅に背中を着けた。
「いや、そういうことなら、寝られたら困るかも。」
ははっ、と柘榴は力なく苦笑した。
「だよな。俺も早く安全な場所行きてえよ。また歩くしか無さそうだな。」
「歩くって、何処へ?」
そうだなとと柘榴はしばらく考え、
何か言葉を発する前に刀で何かを斬った。
「痛え!本当に斬ることねーじゃんか。」
陽気な声が少し響く。
だが、実際には斬られている訳ではなく、黒くて幅広な衣服が10cm四方ぐらいで切り取られただけだった。
「あー。ごめん。話しかけられると面倒だから無視しようと思ったんだけど。なんか腹立つから斬ってやった。」
「それって、動機として不十分なんじゃねえか。」
言っている男は別にまんざらでもない表情をしているが。
「何言ってんだよ。本来の動物社会なら、動機も秩序も全くもって関係ねえ。殺されようと、嘆こうと喚こうと何一つ影響もなければ、記憶もねえ訳だ。だから知能を一つ身につけたぐらいで動機だの、証拠だの甘ったれたこと言ってんじゃねえ。」
柘榴は本当に機嫌が悪いらしく、言動の乱れが目立つ。
ただ、僕はどうしようも出来ず、二人のやり取りを見ているしかない。

「それこそ愚問だな。武人はむやみに刀を抜いちゃいけないんだぜ。それが神の国ヤパンの心ってやつさ。お前もその一人ってことは逃れようもない
事実なんだ。ここまで逃げて来たってそれはお前に付きまとうことになる。」
男はケラケラと笑った。
怒りを越えたのか、柘榴は呆れて目を瞑る。
「そんな事実なくなってしまえばいいのに。」
「まあ、そんな過去、捨てられれば、もっと生きやすくなるのにな。
俺達。」
今まで、感じたこともない不思議な雰囲気だ。
そう感じるのは、当たり前のことなのだけれど。
緊張感ではないのか、やや逸脱しているのか、
やはり、少し気になる。
「神の国って?」
柘榴は、表情を濁らせたが、頷いて教えてくれた。
「俺達の郷里では、そう呼ばれていたんだ。勿論、お前と同様な帝王も
居た。もっとも、俺達の国は滅んだけどな。」
滅んだ。
ならば、この国も結局同じ末路を辿るという事は、昔から決められていたのだろう。
決められていたというか、それは何に対しても同じことだ。
いつかは滅びる。
それが、人類、あわや世界にとっての唯一の愁いであり、唯一の絶望の象徴であり、たった一つの希望でもある。
「帝王は、死んだということ?」
「そんなこと訊いてどうする。自分も同じ運命だと知ったから怖いのか。」
全くもってその通りだ。
その神の国の王が死んだとするならば、同じような僕は、同じように
恨まれ、呪われ、本当に風の前の塵のように、此処から去ることとなる。
怖くない、などと、強がっている場合ではなく、かといって全てに怯えて
感情を捨てる必要もない。
僕は従容とした態度で首を縦に振った。
「安心しろ。お前には唯一、俺という武器があるからな。それに、流石、神は死んでいない。自分の国を捨て、民を裏切った愚か者の神は、荒野で生きてるさ。殺人鬼(オレ)の命も盗らずにな。」
殺人鬼(オレ)...?
一瞬、疑問に思ったが、まあ、これほどの武術の腕を持つ柘榴ならば、あり得る事情だと思い直した。

「不思議だという顔をしているな。分かるぜ、問題は、帝王は生きているのに、何故、再興しようとしないのか、という話だろ。簡単さ。
皆やる気がないからだよ。皆で、ありとあらゆる夢を語り過ぎて、自分にはもう何もないと思ったからだ。生きていても仕方のないことだと。
かといって、死んでも仕方がなく、無謀なだけだし。
結局はな、生きることも死ぬことも面倒だと諦めた、いわば人間クズみたいなもんさ。ただ、風に吹かれたクズやチリは、無常に飛ばされ、漂い、そして限られた変わらない空間の中で、消えることもなくさまようことと同じように...な。」
またか。
変わるものと、変わらないもの。
救われるものと、救われないもの。
消える者と、そうでない者。
その境は、明確にされることはなく、さらには、存在すらも確認出来ず、ひたすらに思惑に流され、今に至る。
ほら、見ろ。
やっぱり結末は見えている。
「そう、陰気な顔すんな。悟りでもひらかれたらこっちがまいっちまいぜ。深く考えんなよ。今、俺が話してることは、無責任で無防備な馬鹿でも解ることだ。ただの思惑と、知識として、念頭に置いておくだけで良い。
もっとも、そんな必要すらないくらいだけどな。此処に生まれ堕ちた
以上、仕方がないだろうっていう、簡単な話だ。」
柘榴は苦笑いをした。
すると、側に居た男が口を開いた。
「それは良いけど、何処へ行くんだ。また、新しい国にでも行くか?」
柘榴の苦笑いはさらに深くなった。
「そうだな。どっか別の国にでも行くか。今の所は此処に用も無いしな。
お前は何かあった時の身代わり人形だ、白夜。」
白夜、と呼ばれた男は、舌打ちをした。
「そういう時って単調に言ってくるよな。それどっかで俺に死ねって言ってんだろ。俺だって、一応『神の子』って言われてたんだぜ。それがこんな扱いかよ。世の中って理不尽だよな。」
言い終わるや否や、また鋭い刃先が飛んできた。
僕はすんでのところでそれを避け、目標のターゲットに到達。
「だから、本当に斬ろうとすんな!」
また、衣服の一部が切り取られたので、白夜はそう言った。
「黙れ。何が神の子だ。お前だって、やる気も根気も素っ気も無い奴の一人じゃねえか。大嫌いだ、そんな奴。いなくなってしまえばいいのに。」
言葉では酷いことを言っているが、意外と淡々としていて、言われた白夜も
落ち着いていた。

まるで、冗談を言っているだけのような。
「じゃあさ、こいつはどうなんだよ。こいつも神の子だろ。なのに自分の国も守れない愚か者...。」
言い終わらないうちに、白夜の首もとに刀があった。
「黙れって言ってるだろ。お前とは違うんだよ、こいつは。愚かはお前だ。」
「何が違うってんだよ。同じだろ、結局は。」
異様だ。
そんなに、異常とは質素なものだったのか。
今までの僕の日常とはかけ離れていて、かつ、滑稽な単語と連語が交わって話されている。
それは、やはり言語と文化の差なのか。
「同じだよ。」
僕は呟いた。
「僕は、誰も助けられなかった。助けられてばかりで。人と、建物に囲まれて。闇と血と、真実から、目を背けていた。だから、こうやって、罰を与えられて、神なんかじゃない僕は、幸せになる権利を、安心の保証を探してる。」
僕は、その後も何か言おうとしたはずだけど、柘榴に止められた。
「それは当たり前だ。だって、それが本質だからだ。お前の本質はまず、
イロが違う。お前が本当に神の子だとすれば、白夜とは違う。
人間として、生きることだって出来る。言わば、偽りなど無い、国民の象徴だった。可哀想な、神様だった。」
柘榴は、遠くを見つめていた。
昔のことを思い出す事の出来る、書物か何かを見つめているような目をして。
そして、しばらくして、その目に少し光が宿った。
「大丈夫さ。きっと見つけられるよ。そしたら、きっと、お前なりの輝かしい未来が待っているはずだ。とりあえず自分を信じて進むだけ。」
切り替えたように、柘榴は歩き始めた。

「さ、こんな所でぐずぐず話してないで行こうぜ。」
僕は、もう一度訊いた。
「行くって、何処に?」
「とりあえずどこかに。『行きたい場所』があるならそこでもいいぜ。」
行きたい場所か。
僕は、少し戸惑った顔をした。
少し、躊躇いがあったからかもしれない。
「僕は...、柘榴の故郷に行ってみたいかな。」
柘榴が目を見開いた。
白夜は呆れて苦笑している。
「お前さ...、俺達の話きいてた?」
白夜が呆れたまま言った。
「うん。」
僕は頷いた。
一方、柘榴は、目を輝かせていた。
「だよな、そう言うと思った。俺、お前のそういうところが良いと思う。」
「何で笑ってんだよ、柘榴。」
目を細める白夜をよそに、柘榴は僕の肩を叩いた。
「行こうぜ。神の国、ヤパンへ。」
意外だ。
こんなに柘榴が快く受け入れてくれるとは思わなかった。
白夜のような反応が、自然だと思ったのだが。
「はあ!?お前ら本当に馬鹿じゃねえの。また、あの荒れ地に行くなんて。
あそこに居るのって、化け物みたいな奴等だけだぜ。お前も言ってただろ。そういう奴は大嫌いだって。」
止める白夜の気も知らず、柘榴は幅広な袖から、羅針盤を取り出した。
「ここから、北東の方向へ。
こっちだな。白夜、お前は方向音痴だからはぐれないようについてこいよ。」
柘榴は、数分前とは大分違って、上機嫌だ。
路地裏を抜ける頃、白夜の溜め息が聞こえてきた。
僕たちの仕方がない旅路は、今、始まったばかりだ。