苦しい、つらい、悲しい。
それらの気持ちを表すように、涙がひと粒こぼれた。
「……入江、大丈夫?気持ち悪い?」
その涙に気づいたように、静は濡れた頬をそっと指先で拭う。
どこまでも、優しい人。
その温もりに、もっと触れたい。甘えたい。
なのに、頭によぎるあの日の上原さんの声が、また私を暗い世界に突き落とす。
『ごめん。俺……果穂のこと、選べない』
さよならよりも残酷な、ひと言だった。
「……上原、さん……」
静かなタクシーのなか小さくつぶやいた名前は、別れを告げられたあの日以来初めて口にしたもの。
車のエンジン音でかき消されて、彼の耳に届きませんように。
ぼんやりとする意識のなか、ただそれだけを願っていた。