水性のピリオド.



ドアの上部に OPEN の札がかかっているのを眺めている間にも岩井くんに手を引かれて促される。

あまりにもスムーズなエスコートに自然と店内に足を踏み入れた。


先にわたしを店内に入れてくれたけど、席まで案内してくれたのは岩井くんだった。

テーブルが二席とカウンターに椅子が四脚。

こじんまりとしたカフェには甘い香りが漂っている。


「紅茶飲める?」


「あ、うん」


「チーズケーキは平気?」


「平気です」


メニューをわたしに向けながらも、そのふたつを確認したあとすぐに岩井くんは店員さんを呼んだ。

同い年か、少し年上くらいの女の子がお冷を持って出てくる。


「あれ、翔くん?」


テーブルに置かれたコップにはアヒルが数羽描かれていた。

女の子はじいっと岩井くんの顔を覗き込むようにして、首を傾げながら言った。


「有沙、またコンタクトつけてないのかよ」


「なんか今日は全然入らないから諦めたの」


「店先に出るならメガネつけとけ」


アリサ。

どう考えたって初対面同士のやり取りじゃない。

メニューのページを持ち上げたまま指先の動きを止めていると、岩井くんが指を折り曲げた関節で女の子を指す。


「こいつ、有沙。俺の二個上」


「あ、えと……よろしくお願いします」


名乗るべきか迷ったけど、岩井くんとの関係にも期限があるのに、たぶんこれっきりになるアリサさんに自己紹介はしない方がいいかもしれない。

そんな余計な気回しを岩井くんが一蹴する。


「なずな。俺の一個下」


「後輩!? え、うそ……彼女? だよね。じゃないと連れてこないよね」


口元に手を当てて、小さく早口に捲し立てたアリサさんは岩井くんに近く顔を寄せた。

その距離感は普通じゃないはずなのに、驚くほど自然とこの場に馴染んでいる。

テーブルの下で組んだ足のつま先を入れ替えて、岩井くんを伺い見る。

返答次第では、アリサさんに誤解を生むかもしれない。

嘘を吐かないでほしいのではなくて、嘘を吐いてほしい。


「フルーツティーとカフェオレ。あとチーズケーキふたつ」


「ちょっと! どっちなの?」


「客のプライベートに首突っ込む店員がいるか?」


岩井くんが容赦なく言うと、アリサさんはぐっと言葉を飲み込んで注文を確認すると、わたし達を横目にカウンターの向こうへ行ってしまった。


「ちがうって……言わないんですか」


念の為、向こうに聞こえないように小声で尋ねる。

店内にはオルゴール調のジャズが流れていて、沈黙の間は心地よい音楽が浸してくれた。


「どう言ったって面倒になるだけだろ」


水を一口飲んで、岩井くんは広げていたメニュー表を取り上げた。

それ以上は何も言わない。

アリサさんとの関係も、わたしとの関係のことも。

それが当然だと思うから、わたしも何も言わなかった。