水性のピリオド.



「ちがったら恥ずかしいんですけど」


さっきまで凛々しかった声が小刻みに震え出す。

まさか泣くんじゃないよね。

緊張で震えているだけだと信じて、まだ顔は上げない。


「先輩も……おれのこと好きですよね」


やっぱり、そう言うよね。

できればはっきりとは言わずに飲み込んでほしかった。


「さあ」


くぐもった声が腕の隙間にこだまする。

自分でもびっくりするくらい、冷えきった声が。


「付き合いますか、おれたち」


「付き合わないよ」


「なんで?」


なんで、と聞き返してくる度胸なんてあったのか。

春乃くんはまだまだ掴めないところがあくさんある。


爪先が机を掠める音が聞こえた。

その音がメトロノームのように同じテンポで等間隔に発せられはじめて、いよいよ眉を寄せる。

無意識なのか知らないけど、わたしそれ、嫌いなんだよ。


「いや?」


「嫌なんじゃなくて……」


それって、今と何が変わる?

少なくともわたしは今のままでいいって思ってる。

楽しいし、色んなことを考えずに済むし、寒くても我慢するって言ってしまえるくらいこの時間が好きだよ。


そう仕向けたのはわたしのように思うのに、いざ春乃くんの口から聞かされると違和感しかついて来ない。

伏せ目がちに春乃くんを見遣ると、とても険しい顔をしていた。


「今日は帰ろう」


「先輩」


「ひとりで帰る。また、来週ね」


万が一にも、引き止められてしまったら、その手に掴まれてしまったら、きっと逃げ出せない。

春乃くんの腕のなかに甘んじて、なし崩し的に陥落してしまいそう。


ここに集まるようになってはじめて、春乃くんを置いて帰った。

毎日会っていたから、ひとりの帰り道も何週間ぶりのことで、帰路を歩く足は重い。


ふと、あることを思い立って、まっすぐに家に向けていた足を駅の方へと向かわせる。

線路を跨いで向こう側にある中学校。

バスケ部の杏ちゃんと美術部の叶人くんはいつも一緒に帰ってくる。

途中で落ち合えることを期待して、幾分か軽くなった足取りをテンポよく刻んでいく。


「そこの人」


駅前の少し人通りの多いところは完全に避けきれない。

壁沿いを歩いてなるべく人に寄らないようにして歩くのがいちばんいい。


「そこの! 茶色いリュック!」


「……へ?」


人の多いところでは、色んな声や話が行き交う。

誰かと一緒でもないのに反応なんて普通はしない。

だけど、茶色いリュック、というちょっと怒ったような声がわたしを追いかけてきたら、振り向かずにはいられない。


「はい……?」


立ち止まって後ろを振り返ると、どこの高校かわからないけど、わたしの学校の制服じゃない男の子がいた。

なんの用ですか、と問う前に、男の子の左手に見覚えのあるキーホルダーが乗っていることに気づいた。


「それ……わたしの」


「そう。おまえの。そこで落としたぞ」


そこ、と指さされたのは側溝の並ぶ道で、サッと顔が青くなる。

隙間に落ちでもしていたら、取れなくなっていた。


「あ、ありがとう、ございます」


「いーえ」


アクリルキーホルダーだから、落ちたときに音が聞こえたはずなのに、どうして気づかなかったんだろう。

すぐにキーホルダーを返してくれた男の子にお礼を言って、しばしどちらも動かずにいた。