「なんか、春乃くんの隣を歩いてるのが夢みたいで」
「それ、俳優とかに言うならいいけど、相手はおれですよ? なんなら、おれの方が緊張してます。」
「そりゃあ、春乃くんは俳優でも王子さまでもないけどさ……でも、嬉しいよ」
たったひとりの帰り道は俯いて歩きがちだけど、春乃くんの隣なら思いっ切り張って歩けるような気がする。
胸のうちで蠢くものの正体を暴いて認めるには、過ごした時間が圧倒的に足りないのが難点だ。
このときほど、家に近いからって理由で高校を選んだことを後悔した。
目印になる歯科が見えてきて、真向かいに建つのがわたしの住む一軒家だ。
「ここでいいよ」
歯科の看板の前で立ち止まる。
看板には、手足が生えて歯ブラシとコップを手に笑う歯のキャラクターが描いてある。
歯なのに歯があるこのキャラクターは、昔から近所で変なヤツと有名だった。
そんなどうでもいい噂は春乃くんの地域まで広まっているはずもなく、歯のキャラクターを興味津々に眺めていた。
「歯に……歯がある」
「ぶふ、ん、ふふっ、そう。歯があるの」
改めて言われると、見慣れたはずのキャラクターが面白おかしく見えてしまう。
ひとしきり笑い終えて、はあっと息を吐き出す。
春乃くんはもう歯のキャラクターを視界に入れないようしているみたいだった。
「あ、じゃあ」
別れ際ってもっと、あっさりしているもののはずなんだけど。
わたしから去らないと動き出しそうにない春乃くんからじりじりと離れていく。
「またね」
後ろ向きに歩くわけには行かなくて、手を振ったらひと思いに背中を向けようと思っていた。
それなのに、春乃くんは簡単に逃がしてくれなかった。
「あ、あの! 先輩……」
「え?」
「明日は会いますか」
会えますか、じゃなくて?
聞き間違えたのか、春乃くんが噛んだのか、わざとそういう風に言ったのか。
会えますか、だと下手な感じがするけど、会いますか、だと春乃くんが上手に思えてしまう。
「もう一回、階段で待ち合わせてみる?」
「それは……やめときます。四階奥の空き教室、どうですか。もと生徒会室の。今は物置になってるところ、わかります?」
「ああ、うん」
わざわざそんな場所を指定した理由はわかる。
今日みたいに大塚先生に捕まってしまう心配よりも、階段で待ち合わせるとしたら、一時間の暇潰しが必要だからだ。
お互いに明言はしていないけど、教室に来るのはやめてほしい、と伝えている時点で、他人にバレたくない関係でもある。
要するに、無駄な時間をなくしましょうってこと。
頭のなかに思い浮かべた元生徒会室の場所を把握して、こくりと頷く。
「じゃあ、もし大塚先生に捕まったら絶対連絡します!」
「そうだね。それは、お願いね」
今日みたいなことになったとして、また春乃くんが泣いてしまったら、どうしたらいいかわからなくなる。
今度、春乃くんが泣いたときはどう対処をすればいいのか本人に聞いておこう。意地悪かもしれないけど。
指切りはもう交わさずに、春乃くんに背中を向ける。
玄関の前で振り返って歯科の看板辺りに視線をやるけど、春乃くんの姿はもうどこにもなかった。



