朝の気配に目覚めた由梨絵は、隣に肌のぬくもりを感じ取り、ここが自分の部屋でないことを思い出した。

無防備な顔で眠る和真を起こさぬよう静かにベッドから抜け出し、夜の熱を残した空気を入れえるために窓を開けた。

細く開けた窓から梅雨特有の重く湿った風が流れ込んできた。

今日も雨だろうかと思ったとたん雨まじりの風が吹き込み、由梨絵はあわてて窓を閉めた。

「ゆう」 と呼ぶ声に振り向くと、和真のまぶしそうな目とぶつかった。



「帰ったかと思った」


「気持ちよさそうに寝てるから、黙って帰ろうかと思っていたところ」


「今日は大学は?」


「午後からよ」


「じゃぁ、ゆっくりできるな。このホテルの朝食、旨いよ」


「ホテルの朝食ランキング、ベストファイブに入っているそうね」



地元に住んでいるからホテルの朝食には縁がないのだと苦笑いした由梨絵を、和真は朝食に誘った。



「美味しい朝食は魅力的だけど、着替えたいから帰るわ」



昨日と同じ服だからと帰る理由を口にした由梨絵へ、和真は怪訝そうな顔を見せた。



「そのままでもいいじゃないか。俺は気にしない」


「私が気になるの。先にシャワーを使わせて」



俺も一緒に行くと言いながら起き上がった和真へ、今度は由梨絵が怪訝そうな顔を向けた。



「初めての相手とはシャワーしないことに決めてるの」


「じゃぁ何度目ならいいんだ」


「そうね……三回かな」


「三回もゆうを口説くのか……俺は明日イタリアに帰るんだが」


「そう、残念ね」 と返しながら、由梨絵はベッドを降りる和真の裸体から目をそらした。


「大学はもうすぐ夏休みだろう? 来いよ」


「来いって、イタリアに? あなた、仕事でしょう? 私もそうよ。学生は休みでも、私は……」


「学長の許可はもらった。向こうでレースチームのメンタルトレーナーとしての仕事があるじゃないか」


「えっ、メンバーが帰国したあと、日本国内で対応してほしいという話じゃなかったの? 

あなた、学長にそう言ったじゃない」


「俺は、大学の長期休みは、レースの開催地に来てもらうつもりだった。

大学の休みは長い、可能だろう?」



メンバーの帰国時にメンタルケアを頼みたい、大学の授業に差し支えのないよう配慮いたします、ぜひ後藤先生のお力をお借りしたいと学長に申し出たことなど忘れたような口ぶりだ。

和真は悠然とバスローブを羽織ると、納得のいかない顔の由梨絵をゆったりと抱きしめた。



「大学の休みは8月から9月だったな。その頃はスペインだ、向こうで待ってる」


「期待しないで……」


「待ってるよ」


「期待しないでって言ってるでしょう」



怒った声で言い返しながら浴室に向かう由梨絵は、背中から聞こえる和真の笑い声を忌々しく聞いていた。

リードしたつもりが、いつのまにかリードされる。

恋の駆け引きに手ごたえを感じながら、和真の責める手をかわしきれないもどかしさもあった。

シャワーを浴びながら、鏡の中の自分の姿に目をとめた。

鏡に映った肌のところどころに見える薄紅色の模様は、和真のしわざである。

腿の内側には濃い紅色が滲んでおり、和真の頭を抱えながら快楽の波に溺れたときが強烈に蘇り、水圧を強めたシャワーヘッドを鏡に向けた。

夏のスペインはさぞ熱いだろう……

昼夜の気温の差が激しく、急激な気温差に慣れない旅行者はたちまち体調を崩すのだと、ツアーコンダクターの友人の話を思い出した。

現地に適した服装を準備しなくては、サングラスは必要だろうか、さっそく友人に聞いてみよう。

シャワーのあと髪を乾かしながら、由梨絵の心は夏のスペインへ飛んでいた。