私は、予定日より前の大晦日に生まれた。
交通事故で母が足でお腹にいる私を守って、それでも帝王切開の手術で私を出した時は産声をあげず、全身が赤紫になっていた。
集中治療室での治療はたくさん管がつながり、見ているだけでかわいそうだったらしい。

入院を経て、家に帰ってから年月を重ね3才のある朝、突然呼吸をしていないことに母が気付き私は救急車で運ばれた。
熱性けいれんで、ずっと小児科に通っていた。

今考えると、私はそんな状態になっても命が消えることなく生かされているのが不思議でたまらない。
どうして?

保育園も遅れて入園したため周りの人と馴染めなかった。
小学校では友達も出来たが、体調不良で休んだ次の日にはその友達は別の友達を作っていた。
いじめも始まって、私は不登校になった。
それでも、学校側の要望で保健室登校をして、時々授業にも参加して小学校終わり頃は教室に馴染んでいた。

中学校では、親切な担任の先生がいて放課後相談に乗ってくれたり、担任ではなくなった後も仲良く交流をしていた。

ところがある日。
信頼してくれるのは嬉しいけど、もう交流はできないと裏切られた。
今考えると担任でもなくなったのに手紙で相談したり、自分が非常識だった気がする。
毎日がいじめの日々で、私の心はもうボロボロだった。
こどもの精神科がある病院へ行って、自閉スペクトラム症(高機能発達障害)と診断され、入院を勧められたが薬をもらって通院治療を選んだ。

あの時入院を選んでいれば早く病気が治っていたのか。
もう過去には戻れないけれど、後悔している。
きっと交通事故で脳に何らかの支障が出て、生まれつきの病気だったのだろう。

中学校もその後は保健室登校で、通知表も判定不能で進路が危うくなってきた。
いろんな高校に見学に行ったけれど、母が私に合う高校を見つけてくれて、内申書が関係しない入学試験(特待生入試)を受けられることになり、合格して進路は安定した。

高校時代は一番輝いていた。
友達もたくさんできて、先生との交流も楽しくて、成績はいつもトップクラス。
たった3年間だけど、たくさんの思い出ができて最高に幸せな高校時代だった。

それでも、今の私からすれば後悔する点はたくさんある。
また高校時代をやり直したい。

大学は、6年制の大学に入学したが、やはり病気の影響で人間関係がうまくいかず、費用も高額で父が払っていけない状況で中退した。
短い期間だったけど、勉強になったこともあった。


それからずっと病気療養で仕事もできず毎日家で過ごして資格取得に挑戦したり、家事の手伝いをしたりで今に至る。

最近はやりたいことを書き出していろいろ挑戦をしている。