パトリックがバスルームから出たとき、家の中は静まり返っていた。

 居間、キッチン、ベッドルームを見てもベアトリスの姿が見えない。

 アメリアの部屋をノックして許可を貰い、中に入ってもベアトリスの姿は見えず、部屋には大人しくアメリアがベッドに横たわっているだけだった。

「どうかしたの? なんだか顔色がよくないけど」

 アメリアが聞いた。

「いえ、ちょっと疲れてるだけです。それよりベアトリスがどこにもいないんですが」

 パトリックはダークライトとの遭遇のことはアメリアに報告できないでいた。

 何事もなく回避できたことには間違いがないので、心配をかけまいと黙っておくことにした。

 しかしそれは表向きで、あれだけ任せてと自信を見せていたが、本当は危険と紙一重だったことを知られるのを恥じていた。

「ベアトリスならウォーキングに出かけたみたい。その辺を歩いたらすぐに戻ってくるわ」

「それじゃ僕も護衛に」

「待って、この辺りはダークライトの心配いらないわ」

「えっ、どういうことですか」

「ここはリチャードの管轄区みたいなものなの。リチャードが認めたダークライトしか入り込めない空間になってるの。早い話が縄張りみたいなものね。ノンライトの世界で言う、ギャングとかヤクザとか自分のテリトリーってあるでしょ。他のものはそこではでしゃばったことができないみたいに、ここもリチャードの力で制限されているわ」

「へぇ、ダークライトも割りと仁義を重んじるんですね。みんな好き勝手に暴れるのかと思っていた」

「ううん、こういうことができるのは他の者に恐れられ、そして力を持ってるダークライトだけ。みんなリチャードが怖いのよ。彼がいる土地では好き勝手できないことをよく知ってるわ。暗黒のボス的存在だから」

「なるほど、だからあなたたちはこの土地を選んだってことなんですね」

「そう、先日までは最も安全な土地だったんだけど」

「だった?」

「油断はできないって事。リチャードにとっても厄介なダークライトがまた戻ってきたために、今は少し危険度が増してしまったから」

「一体、どういう奴なんですか」

「コールっていって、年はまだ30前くらいね。背は高く痩せ型だけど、筋肉質でその動きは恐ろしく機敏。ガラス素材や透明なものなら体は通りぬけ、影を自由に操り、ノンライトや弱いダークライトに忍ばせては自分で悪事を実行しない。そして仲間であっても都合が悪くなれば容赦なく命を奪い取る鬼畜な性格。リチャード と同じくらいダークライトの中では恐れられているわ」

「見かけに特徴とかないんですか?」

「そうね、見るからに不良っぽい悪い雰囲気が漂ってる感じなんだけど、あっ、そうそう確か赤毛だったわ」

「えっ、赤毛?」

 この言葉に反応してパトリックの鼓動が早くなる。

 モールの入り口附近のドアにいたダークライトの片方は赤毛だったことを思い出した。

「パトリック、どうかしたの?」

「い、いえ、何でもありません。そんなのに遭遇したらどうしようかと思うとつい……」

「でも、ベアトリスのシールドがある限り存在はわからないはず。ただ、ベアトリスのシールドがなくなれば、アイツは必ず嗅ぎ付けてくるわ。それさえ気をつければ、後はリチャードがなんとかしてくれる」

 アメリアは心配をかけまいと笑顔を見せたが、パトリックの動揺は収まらなかった。

 恐ろしいほどの近くにそんな最強の敵が居たと思うと背筋が凍る。

 回避したとはいえ、一歩間違えば危なかったと、事の重大さがこの時になって何十倍になってのしかかってきた。

「あっ、僕、夕飯の支度でもしてきます。それからこれもベアトリスに飲んでもらわないと。またお借りしますね」

 例の壷を手に取った。

「パトリック、夕食の支度は心配しなくていいのよ。今日はピザでも取りましょう。でもライトソルーションだけはお願いするわ。少し量が少ないので全てをベアトリスに与えて」

 パトリックは了解と引きつり気味の微笑を返して部屋を出た。

 アメリアの前では息苦しく、部屋を出るとその反動で呼吸が速くなり、肩が上下に動いていた。

 台所に向かい、ライトソルーションを頼みの綱のように助けを請いながら見つめる。

 パトリックはベアトリスの居ない間に素早くレモネードを作った。

 凶悪なダークライトの姿を思い出すと、無意識にピッチャーに入れたレモネードを何度も念入りにかき混ぜた。

 不安定な心に左右され、ため息も後を絶たなかった。