「だったら尚更、俺は琴葉のそばにいたい。俺は琴葉しかいらない。琴葉がいい。小さなパン屋で一生懸命働いている琴葉が好きなんだよ。」

固く手を握りしめ真剣な眼差しで琴葉に訴えかけると、琴葉の頬はみるみるうちにピンクに染まる。
琴葉は逃げ出したい気持ちになって、一歩下がろうとしたが、それを雄大は腕を引いて阻止した。

「そうやって甘やかさないでください。弱い人間になってしまう。」

弱々しくも反論するが、琴葉の心は大荒れだ。
一人に戻ると決心したのに、そんな気持ちが簡単にガラガラと崩れていく気がした。

「覚えてる?責任取って側にいるっていっただろ。」

雄大が一歩近づき、琴葉との距離が縮まる。と思った瞬間、あっという間に目の前に雄大の顔がきて、琴葉は反射的に目を閉じた。
けれど何も起こらなくて、そろそろと目を開けると、琴葉の額に雄大の額がこつんとくっつく。
その吐息さえも感じられる距離に、琴葉は一瞬にして体中の体温が上がってしまい、今にものぼせそうになった。

「さっき言った琴葉の大好きな人って誰のこと?」

「い、言わせないでください。」

「聞きたい。琴葉の口から。」

この状況で逃げることもできず、更に甘く優しく問いかけてくる雄大に、琴葉は胸が高鳴ってしまう。
しばらくの沈黙のあと、琴葉は観念したように呟いた。

「…早瀬さんです。」

「俺も琴葉が好きだよ。」

琴葉の呟きに被せるように雄大が言うと、そのまま琴葉の唇をふさいだ。
甘く柔らかいキスは二人の心を意図も簡単に繋ぎ合わせて心を溶かしていく。

ゆっくりと離れると、名残惜しいかのように思わずその唇を追ってしまう。
そんな自分の行動に動揺して、琴葉はごまかすように目を伏せた。

「ねえ、名前。雄大って呼んでよ。」

「雄大…さん?」

「仰々しいな。」

「えっと、雄大くん?…雄くん?」

呼び捨てにすることが難しくていろいろ呼んでみるが、なかなかしっくりこない。
顎に手を当てて真剣に悩み出す琴葉に、雄大は思わず笑みがこぼれた。

「はは。ま、何でもいいや。琴葉が呼びやすいので。」

「えっと、じゃあ、雄くん。売れ残りですけど、パン食べますか?」

「もちろんいただくよ。」


***

minamiが閉店後、奥の厨房では明日の仕込みをする琴葉と、それを温かく見守りつつパソコンを開いて仕事をする雄大の姿があった。

パンの香りに包まれながら、穏やかで優しい時間が流れていく。

そんな日常が出来上がりつつある。