静かな部屋に水が流れる音だけが響く。
緊張が限界に達した琴葉は、途切れ途切れになりつつも声を発した。

「えっと、、、もう大丈夫ですよ。ありがとうございます。」

琴葉の言葉に雄大はようやく手を放し、ポケットからハンカチを取り出して琴葉の手を丁寧に拭いてあげる。
それだけで、琴葉の心臓は張り裂けんばかりだ。

「すみません、パンを取りに来られたんですよね。気付かなくて。」

「いや、こちらこそ閉店後にすみません。俺のせいで君の帰る時間が遅くなってしまう。」

申し訳なさそうに頭を下げる雄大に、琴葉は慌てて首を横に振る。

「ふふ、大丈夫です。閉店後もいつも次の日の仕込みとか準備とかしてますから。お仕事忙しかったですか?お電話したのがご迷惑だったらどうしようかと思っていました。」

「打合せが長引いてしまって…いや、それは言い訳だ。ただ単に忘れてしまって、すみません。」

雄大の正直な答えは、まったく彼を責めようという気が起きなく、むしろ好印象に映った。

「走って来られました?お電話してからずいぶん早かったですけど。お店の照明を消してしまっててすみませんでした。閉店後も照明を点けておくと、近所のおばあちゃんがまだ開いてると勘違いして入って来られるので。」

「近所のおばあちゃん?」

「はい。ありがたいことに、ご贔屓にしてもらっているんです。」

なるほど、時間は過ぎているがパンを取りに来るという客がいるのに照明が消えていたのはそういうことかと、雄大は納得した。

それどころか、ニコニコと穏やかに話す琴葉の姿に自然と引き込まれてしまう。
きっとそのおばあさんも、パンのみならず彼女の魅力に引き込まれているんだろうなと感じた。