「ちえり、君はヒーローにはなるな」
 「葵、お前何言って――」
 
 葵くんは物言いたげな日向くんを睨みつけることで制止した。日向くんは苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、何も言わなかった。恐らく葵くんに対して、一定のリスペクトがあるのだろう。
 
 「あ、あの、結局、私の能力って……」
 
 葵くんは握っていた右手に暖かい左手を添えて、ぎこちなく笑った。
 
 「予知、だ。自分と仲間に危機が起こる直前に、それが予感として分かるんだろう」
 
 さっきから手を握られて脂汗を垂らしてはいたが、葵くんの目線が右上に泳いだのを私は見逃さなかった。……恐らく、これは嘘だ。論理的な矛盾はないが葵くんの様子がそれを示唆している。
 
 「でも何で、ちえりはヒーローになるななんて言うんだよ。俺二回もちえりに命助けられたんだぞ。そりゃ女の子だし直接戦える能力ではないけど……先生だって心を読む能力だけどヒーローやってるじゃんか」
 
 日向くんの言葉に、それは、と口ごもってから葵くんは反論した。
 
 「先生は能力の有無とは別の貢献をしているだろう。ちえりは先生みたいに怪我の手当ができるわけじゃない。僕には――ちえりがヒーローとして活動しているビジョンが見えないんだ」 
 
 日向くんが寂しそうにこちらを見る。張りつめた静寂が辛くて、私は無理に笑顔を作って吐き出した。
 
 「だ、大丈夫です。わ、私は……ヒーローにとても、なりたいわけじゃない、ですし。……いじめられたり、とかしてて、あんまり、命かけてまで世界守るだなんて、責任とれません。……それに、正直、足でまとい、だし」
 
 本人の意志に反してまでヒーロー活動させるわけにもいかないね、とどこか安堵した様子で葵くんが呟く。私の手から葵くんの両手がやっと離される。空いた私の手を、今度は日向くんが力強く握った。
 
 「ちえりがヒーローになりたいかは別だけど……少なくとも、ちえりは、足でまといなんかじゃない。身体なんか、あとからいくらでも鍛えりゃいいんだ。ヒーローにならなくてもいい――でもなれないわけじゃない」
 
 日向くんの茶がかった黒い瞳が真っ直ぐに私を見ていた。傷だらけの手はとても暖かかった。うるさい、と葵くんの口から漏れる。
 
 「……言いたいことだけを言うな。責任の取れることのみを言え。ろくに守れもしないくせにいい加減な啖呵を切るな!」
 
 語気を荒らげた葵くんは――両眼から涙をボロボロと零していた。日向くんも何も言わずにただただ驚いている。葵くんがこんなに激しく泣くのはきっと珍しいことなのだろう。
 
 「確かに俺はまだちえりを完全に守れるほど強くはない……けど、ちえりの可能性を完全に折っちゃうのは、違うだろ」
 
 言い返す日向くんは、とても穏やかな顔をしていた。葵くんは眼鏡を取って泣きじゃくりながら、言葉を連ねる。
 
 「もう駄目なんだ……繰り返しちゃ……ちえりだけでも普通に生きないと、じゃないと」
 「あ、葵くん……私、大丈夫、だから。ヒーロー、になりたいわけじゃ……なかったし」
 
 無理に笑顔を作る。笑顔になるための筋肉が衰えているのか、少し笑っているだけでもきつい。葵くんが急に私の体を引き寄せる。
 
 「ちえりは、守るから。普通に、暮らして、普通に……こんなところと関わってちゃだめだ」
 
 ――君を我がものにしようとしか考えない馬鹿者共に、人生を無茶苦茶にされてしまう前に――
 
 突然囁かれた文章が理解出来ずに、私は思わず葵くんに聞き返した。しかし、葵くんは応えずに、涙を拭いて急に立ち上がった。
 
 「おい、嘘だろこんな時に」
 「噂をすれば――馬鹿者共だ」