きっともう好きじゃない。






3月20日。

カレンダーにバツ印をつけていくほど楽しみなことなんて、これまでなかった。

楽しみ、というと少し違うのかもしれないけど、重苦しい感情を打ち消すだけのものも、ちゃんと胸の中にある。


昼前に起きていちばんに赤いペンでバツ印を書いたあと、リビングに行くと薫しかいない。

昨日の夕飯の残りを片っ端から、といっても3種類だけど、ぜんぶ温めたらしい。

ダイニングテーブルに三角形に並ぶふたつの皿とひとつの鍋。

皿には小ぶりなアジの開きとスパイスチキン。

鍋の方はアジのつみれ汁。


なんでこんなにアジがあるかって、先日お父さんが薫と釣りに行ってきたからだ。

大漁なのはよかったけど、骨も内蔵も取るのを苦労するような小さなサイズばかりで、大きくなってから釣られに戻ってこいとか言ってリリースすればよかったのにね、とお母さんとぶちぶち言いながら捌いた残りがようやく無くなりそう。


「アジはもういいわ」


眠そうな顔で普通に盛ったご飯をやたらとはやいペースで食べ終えた薫は、ちゃっかりアジの開きを多く残して立ち上がる。

そのままソファに向かうかと思うと、リビングを出ていって、次に戻ってきたときには着替えを済ませていた。


「出かけてくる」


「どこ行くの? あ、デート?」


「うっせ」


前は茶化すとすぐに照れていたのに、今はもうからかわれるのも慣れてしまったらしい。

ドアが閉まる音は聞こえたけど、鍵をかける音はしなかった。

そろそろ鍵を持ち歩く癖をつけるように言ってるんだけど、姉ちゃんがいるじゃん、の一点張りで、言い返せないから放ってる。

念の為に鍵をかけておこうと、急いでアジをほぐしてご飯と混ぜる。

つみれ汁まで飲み干して、食器はそのままにリビングを出る。


「……え」


廊下は曲がりくねっていない。真っ直ぐに続いてる。

遮るものなんてなくて、見通した玄関の段差に、誰かがいた。

さっきちらっと見た薫の格好とはちがう。


あんな襟足の短さは知らないけど、毛先が少しだけピンと跳ねるあの髪質は知ってる。

肩幅の広さも、背中も、髪の隙間から覗く耳も。

ぜんぶ、知ってる。