そんな時、背が高い男性が声を掛けてきた。
 その相手を見た瞬間、ドキッと夕映の胸が鳴った。奥の席で座っている彼の次に会うのを躊躇ってしまう相手だった。


 「夕映先輩、お久しぶりです。」
 「……依央くん。」
 「夕映先輩にずっと会いたいと思ってました。……会えて嬉しいです。」


 そう言って微笑む彼の笑顔は、とても幼くて、昔と変わらないなと夕映は思った。


 「少し緊張したけど、依央くんの声を聞いたらなんかホッとしたよ。」
 「本当ですか?よかった………。」


 ニッコリと笑う依央につられるように、夕映も微笑んでしまう。



 成瀬依央は、夕映の大学テニス部の後輩で、元恋人だった。

 斎と別れた後、依央が何度も告白をしてくれて、夕映がそれに応じたのだ。斎の事が忘れられないとわかった上で、依央は恋人になってくれた。
 彼は夕映をとても大切にしてくれて、付き合っていた約1年は、とても心地のよい時間だった。
 依央の仕事を知りたいと、洋書を読むために英語を勉強したり、初めて翻訳した雑誌のインタビュー記事では、わざわざ発売日の朝に本屋に走って何冊も買ってお祝いしてくれたのだ。
 
 そんな依央を優しい人だと思ったし、付き合い続ければ幸せになれるだろうとわかっていた。
 それなのに、彼に本心で「好き」だとは言えなかった。彼に「僕の事好きになってくれましたか?」と聞かれては、躊躇わずに返事が出来たことがなかった。
 そんな事が続いて、夕映は彼に申し訳なく別れを切り出したのだった。