「高橋くん、いまのワインのお客さんの卓に菫さんをつけて……」そう言いかけた時、懐かしい横顔が目の前を通り過ぎて行った。
「え、何で?」
’わたしが自らの手で手放したお客さんはこの2年で何度思い返してもただひとりだけだったのだから。’
ふとさっきの想いが、頭をめぐる。
そのお客さんは、ひと際目を惹くような人だった。
過去に通り過ぎた想い出で、少しだけ想いを寄せた人。
どこか光に似ているその人を、わたしのお客さんだった人を、手放したのは自分だったから。
遠い過去に置き去りにしてきた面影に、高橋の言葉を無視して、走り出す。
’待ってたよ!やっと着いてくれた!’懐かしい言葉が思い出させられる。
光に雰囲気の良く似ている人。
若い女の子たちに人気になっているカフェを何店舗か経営していて、まだ30代なのに成功している人。
どこからでも目を惹くルックスで、モデルさんみたいな人だけど、もう中学生の子供さんがいる父親だった。
シーズンズで綾乃と売り上げ勝負をしていた頃、フロアで歩くわたしを見かけて、本指名してくれた人。
ロマンチックな出会いだと思ったし、ちょうど光に失恋したばかりのわたしは、彼の持つすべての雰囲気に惹かれた。
お客さんをお客さんとして見れなくなってしまった人。シーズンズで惜しみなくお金を落としてくれたけれど、どうしても彼の奥にある寂しさを埋められるのは自分じゃなくて、自分から手を離した人だった。
あの時の選択は後悔していない。
彼がシーズンズでわたしへお金をつぎ込んでも、結局は彼が望む物は手に入れれなかったといまでも信じれるから。
後悔はしていないが、忘れる事が出来ないお客さんだった。



