もう一度、恋をしよう

「やだ…本当に…樹くんやめて」

言葉とは裏腹に反応を示した身体の証拠が絡みついた指先を私に見せつけて、樹くんが言った。

「こんなになって、我慢できるの?」

恥ずかしくて、目を逸らした瞬間…

樹くんの距離が縮まって、動きが増した。

背中越しに見た空は、9月なのにまだ真っ青で夏、真っ盛りの空。

でも、明らかに8月とは違う青さ。

初めて樹くんと触れ合った、7月と違う青さ。

セメントの階段が背中に当たる痛みで、心の痛さを誤魔化せた。

こんな青空の下で…

学校で…

この行為のために呼び出された?

そんなことを思いながら、動き続ける樹くんを強く抱きしめて、声を上げずにはいられなかった。

好きだったから…

虚しさを感じるのに、目の前の樹くんが好き。

いつもと少し違う、ほんの少し我慢をしているような表情にたまらなくドキッとする。

樹くんが身体を支える時に現れる、肩の筋肉が好き。

時々、漏れる吐息も好き。

最後の瞬間に眉がうごめくのを見るのが好き。

でも…

最近、こんなことばかり。

樹くんがどんなことをして、何を考えているのかも知らない。

一緒に何かを楽しむことも、ほとんどない。

ただこんな風に、2人の時間を過ごすだけ…

樹くんのこと、もっと知りたいのに…

私のこと、もっと知って欲しいのに…

お互いのことたくさん知って、身体も知りたい。

夏休みの終わりに、少しだけくすぶり始めていた心の影が、大きくなろうとしていた。

気づかないふりをして、押し殺していた感情が芽を出す。

色んな事を考えていても結局最後は、身体から湧き上がる感覚に負けて、何も考えられなくなる…

「陽菜…ティッシュ、持ってる?」

「…うん」

スカートのポケットから出したティッシュを2枚、私に渡して樹くんは私に背中を向けた。

虚しい。

色々考えるけど、結局身を任せた自分が一番嫌になる瞬間…

自分を傷つけていることに、本当は気づいていた。

でもそれを受け止め、頭とかけ離れた反応の証拠を拭き取る。

背中を向けたまま、現実的に行為の終わりを告げる樹くん。

「陽菜、昼休み終わるから戻ろう」

理屈っぽいけれど"好き"だから抱いてくれるのか…

"抱ける"から好きなのか…

樹くんの気持ちに、言葉では言えない不安を感じた。

大好きなはずの樹くんと、抱きしめ合うことに不安を感じるなんて…

自分の感情を、深く考えるのが嫌だった。

知ってはいけない、本当の答えが見つかりそうで…

「陽菜?」

「あ…私、もう少ししてから戻る」

「はは、浸ってる暇ないって」

「うん。でも、もう少し」

抱きしめてキスをして『じゃあ、一緒にいるよ』とか言ってくれたら…なんて少し期待していた。

「ふーん。じゃ、俺行くわ。授業遅れんなよ」

私に触れることなく背中を向けた樹くんの言葉が、心に突き刺さった。

「樹くん…私のこと好き?」

「ああ、好きだよ。可愛いよ」

「ずっと、ずっと…好き?」

「…はは、ああ」

樹くんは振り返らないまま、非常階段を出た。

"ずっと"という言葉が約束になるわけじゃない。

その言葉をくれたからといって、現実にそうなるのかどうかなんて、誰にも分からない。

それでも…

今の気持ちは、それくらい好きでいてくれるという、自信が欲しかった。

それからの私と樹くんの関係は、平日部活の後、一緒に帰ることがなくなった。

『俺、練習後居残り練しようと思うんだ。遅くなるから先、帰ってていいよ』

『わかった』

それ以外の言葉を言えない雰囲気だった。

学校が休みの日は、部活が終わった後、会うのはいつも樹くんの部屋。

学校の昼休みは非常階段。

そして…求められて、応える。

断るのが怖かった。

樹くんのことが好きで、樹くんに嫌われたくなかったから。

私のことが好きだと信じていたかった。

そんな迷いが消えないまま、月日だけが流れた。

秋が深まる10月の初め。

「陽菜、行こう」

いつものように、お昼休み廊下からひょっこり顔を出して樹くんが声をかけてきた。

今日はいつもと違うはず。

今日は…

そう思って、いつもより豪華な母が作ってくれた、まだ食べかけのお弁当の蓋を閉めて、樹くんの後に続いた。

でも…

やっぱり、見たのは樹くん越しに揺れる、青い空。

いつものように背中を向けて、少し乱れたシャツを整える樹くん。

「陽菜、またしばらくここにいるの?」

「あ…うん」

「そっか。んじゃ、また明日な」

頭を優しく撫でて、樹くんは非常階段を出て行った。

そっか…

今日はもう会わないんだ。

いつもと同じ、ここで終わりなんだ…

私の16歳の誕生日というオプションが、虚しさを増長させた。