奈々ちゃんはクライスラーの「愛の悲しみ」を弾き始めた。
ああ、やっぱり奈々ちゃんのピアノ、優しくて好きだな。
でも、なんで今、その曲を選んだの?
ねえ、奈々ちゃん。
……どうして、泣いてんの?
俺はこの時、気づいちゃったんだ。
奈々ちゃんの気持ちに。
奈々ちゃんも俺のことが好き。
……いや、そうじゃない。
俺と兄貴は、奈々ちゃんの中では同一人物だ。
だから、奈々ちゃんはきっと、兄貴も俺も含めた『鈴木くん』が好きなんだって。
すごく嬉しかった。
本当にすごく嬉しかったけど、俺は、俺達は、もうさよならしなくちゃいけない。
俺は奈々ちゃんのために、ドビュッシーの『月の光』を弾いた。
奈々ちゃんと過ごした時間は、俺にとって夢みたいにキラキラしてたから。
夢……本当に夢だったのかもしんない。
だって、やっぱり本当の俺は、『鈴木理人』は、彼女の中に存在してない。
「いつかまた会おうね」
俺がそう言ったら、奈々ちゃんが不思議そうな顔をした。
「また明日、でしょ?」
「そうだね」
最後まで嘘ついて、ごめん。
好きって言えなくて、ごめん。
これから傍にいられなくて、ごめん。
「ごめんね」
俺はそう言って、第2音楽室をあとにした。



