「あの白いお花は、雪中花と言うのです。毎年春の祭事に、あれを雪に見立てて空へ送るのですよ」
「送る?なんのために?」
「冬に神様から雪を頂いたので、ありがとうございますって意味を込めてお返しするためです」
訝しがるカヤに、ナツナは声を潜めて説明を続ける。
「そうして今度は夏の恵みの太陽をいただくのですよ。で、また秋の祭事には太陽の光をお返しして、逆に冬の雪を降らせてくださいとお願いするのです」
「へー……」
「順当に季節が巡らなければ、作物は育ちませんからね」
なるほど。そうやって豊作を祈るのか。
そんな考え方もあるだなと感心するカヤの隣で、ナツナは少し心配そうに言った。
「でも、今年は赤いお花も混ぜたのですね……大丈夫なのでしょうか」
その言葉にハッとする。
確かに、昨日軽い気持ちで混ぜてしまったあの赤い花も器に混ざっている。
あれでは『雪』に見立てるには少し無理がある気がするのだが。
今年は何やら普段とは違う花が混じっている事に周りの人達も気が付き始めたようで、にわかにざわめきが起き始めていた。
(……もしや私、割と取り返しのつかない事をしてしまったのでは無かろうか)
冷や汗を掻いてきたカヤの目の前で、翠は器の中の花弁を両手でそっと掬った。
そしてそれをゆっくりと空へと掲げる。
衣の袖が降りて、翠の陶器のような腕が青空を背景にして映えた。
対照的な色彩の、その境界線があんまりにも綺麗で、カヤの焦りが静かに息を潜めた。
「恵み運ぶ神よ。今年も熱持つ大地を冷やし、華に眠りを頂いた事を感謝致します」
謳うそれは、占いの時のような小難しいものでは無かった。
多くの民が見守るこの場だからこそ、誰もが分かるような言葉を選んでいるのかもしれない。
自然への感謝を、誰もが平等に持てるように。
「今こそ彼方様より頂いた白き雪をお返しします。それから―――……」
ひらり。
一枚の赤い花弁が、翠の手のひらから零れ、流れていく。
翠の眼が、それを追った。
美しい眼尻が安息感を携えながら緩む。
その眼が、くすりと笑って、そして翠は付け加えるように言の葉を落とした。
「彼方様が凍えてしまわぬよう、温かな灯もお受け取り下さい」
それはまるで、暗闇に温もりを伝える小さな炎。
――――ビュウッ!
その瞬間、空気を切るような春一番が吹き渡った。
「きゃっ、」
砂埃を上げる強風に、隣でナツナが悲鳴を上げる。
カヤも思わず眼を細めて、翠を見やった。
刹那、呼吸の仕方を忘れた。
誰もが眼を覆うその世界の中。
只一人、翠だけが凛とそこに立っていた。
白い指先から花弁が離れ、そして風に乗って空へと旅立っていく。
その空間だけ時は動くのを止めていた。
まるで永遠にその情景が続くんじゃなかろうかと、そんな嘘めいた夢すら魅せるように。
耳に、眼に、心に、強烈に焼き付いて、きっとずっと離れない。
美しい線を描くその横顔を。
奇跡のように舞うその黒髪を。
全ての業を許容するようなその微笑みを。
見せないでほしい、誰にも。
奪われないでほしい、何にも。
(嗚呼、翠)
貴方は今、眩しい光の中に生きている。
「送る?なんのために?」
「冬に神様から雪を頂いたので、ありがとうございますって意味を込めてお返しするためです」
訝しがるカヤに、ナツナは声を潜めて説明を続ける。
「そうして今度は夏の恵みの太陽をいただくのですよ。で、また秋の祭事には太陽の光をお返しして、逆に冬の雪を降らせてくださいとお願いするのです」
「へー……」
「順当に季節が巡らなければ、作物は育ちませんからね」
なるほど。そうやって豊作を祈るのか。
そんな考え方もあるだなと感心するカヤの隣で、ナツナは少し心配そうに言った。
「でも、今年は赤いお花も混ぜたのですね……大丈夫なのでしょうか」
その言葉にハッとする。
確かに、昨日軽い気持ちで混ぜてしまったあの赤い花も器に混ざっている。
あれでは『雪』に見立てるには少し無理がある気がするのだが。
今年は何やら普段とは違う花が混じっている事に周りの人達も気が付き始めたようで、にわかにざわめきが起き始めていた。
(……もしや私、割と取り返しのつかない事をしてしまったのでは無かろうか)
冷や汗を掻いてきたカヤの目の前で、翠は器の中の花弁を両手でそっと掬った。
そしてそれをゆっくりと空へと掲げる。
衣の袖が降りて、翠の陶器のような腕が青空を背景にして映えた。
対照的な色彩の、その境界線があんまりにも綺麗で、カヤの焦りが静かに息を潜めた。
「恵み運ぶ神よ。今年も熱持つ大地を冷やし、華に眠りを頂いた事を感謝致します」
謳うそれは、占いの時のような小難しいものでは無かった。
多くの民が見守るこの場だからこそ、誰もが分かるような言葉を選んでいるのかもしれない。
自然への感謝を、誰もが平等に持てるように。
「今こそ彼方様より頂いた白き雪をお返しします。それから―――……」
ひらり。
一枚の赤い花弁が、翠の手のひらから零れ、流れていく。
翠の眼が、それを追った。
美しい眼尻が安息感を携えながら緩む。
その眼が、くすりと笑って、そして翠は付け加えるように言の葉を落とした。
「彼方様が凍えてしまわぬよう、温かな灯もお受け取り下さい」
それはまるで、暗闇に温もりを伝える小さな炎。
――――ビュウッ!
その瞬間、空気を切るような春一番が吹き渡った。
「きゃっ、」
砂埃を上げる強風に、隣でナツナが悲鳴を上げる。
カヤも思わず眼を細めて、翠を見やった。
刹那、呼吸の仕方を忘れた。
誰もが眼を覆うその世界の中。
只一人、翠だけが凛とそこに立っていた。
白い指先から花弁が離れ、そして風に乗って空へと旅立っていく。
その空間だけ時は動くのを止めていた。
まるで永遠にその情景が続くんじゃなかろうかと、そんな嘘めいた夢すら魅せるように。
耳に、眼に、心に、強烈に焼き付いて、きっとずっと離れない。
美しい線を描くその横顔を。
奇跡のように舞うその黒髪を。
全ての業を許容するようなその微笑みを。
見せないでほしい、誰にも。
奪われないでほしい、何にも。
(嗚呼、翠)
貴方は今、眩しい光の中に生きている。