「こちらでございます。ハヤセミ様が中でお待ちになられております」

やがて目の前の兵が足を止めたので、二人も立ち止まった。

目の前には、見慣れた岩で出来た入口。
中はこの砦の広間だ。

カヤと弥依彦は、そっと目を合わせ小さく頷くと、カヤを先導にしてゆっくりと広間に足を踏み入れた。


「――――ああ、やはり生きておられたのですね」

その声が鼓膜に届いた瞬間、ぞわりと何かが這い上がって来る。

身体中の毛穴が逆立つ感覚。

激しい嫌悪感に苛まれながらも、カヤは玉座に就くその男を睨み付けた。

「ハヤセミッ……」

ハヤセミは、ゆうるりと肘を付きながら、カヤを見つめていた。


「それが御子ですか。大きくなりましたね。健やかそうで何よりです」

蛇のような眼が、蒼月を品定めするように見据える。

カヤは、なるべくハヤセミの視線に晒されないように、蒼月をギュっと抱き締めながら歩を進めた。

「いや、まさか、貴女自身の足でお戻りになられるとは……」

鉛のような足で玉座に近づいていく最中、ハヤセミが可笑しそうに言った。

「あれだけこちらの要求を拒否されていた当の翠様はどちらに行かれたのすか?」

ハヤセミの元まで、あと大股で五歩ほどを残し、カヤの足がピタリと止まった。

「………………翠様は、居ません」

短い沈黙の後、どうにかそう答える。

「でしょうね。あのお方が貴女をやすやすと渡してくるはずも無い……と、言う事は」

くす、と確かに聞こえた来たのは、ハヤセミが嘲った声だった。


「お亡くなりになられたのですか?」


ぐらり、と頭が揺れて、危うくふら付きそうになってしまった。

(こ、の男はっ……)

どうしてそんな事が言えるのだ。
どうしてこんなに飄々としているのだ。

どうして、生きているのだ。

―――――何もかもこの男のせいなのに。


「っ……!」

ブルブルと震える手を、必死に握り込む。

落ち着け。ここで喚いたってどうにもならない。
今は冷静にならなければ。

身体中の血管が沸騰してしまいそうな怒りを、どうにかこうにか無理矢理に抑え込み、カヤはハヤセミをキッと睨んだ。

「御託はもう良い!ミナトは何処!?無事なの!?」

「ええ。生きていますよ、勿論」

憎い男から発せられた言葉ではあったが、それでもカヤは安心した。

良かった。
ミナトは命まで取られてはいないようだ。

それなら後は、最優先事項の交渉をするのみだ。


「だったら約束通りここに来たのだから、すぐに兵を撤退させて!もう一刻の猶予も無いの!」

カヤの訴えに、ハヤセミは「ええ、そうですね」と余裕しゃくしゃくの笑みを見せる。

「兵は撤退させましょう。ですが今すぐに、ではありません」

思いもがけない言葉に、カヤは当惑してしまった。