【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

ドクン、ドクン、と喚き散らしている心臓を抑え込むが、激しい吐き気と頭痛に襲われ、身体を起こす事が出来ない。

「かか……?」

尋常では無いカヤの様子に不安になったのか、蒼月がカヤの背中をペチペチと叩いてきた。

「そう、げつっ……」

何かから逃れたくて、その小さな身体を必死に抱きとめ、必死に呼吸をした。





――――――どれほど、そうしていただろう。

気が付けば部屋の外からは何も聞こえなくなり、カヤの呼吸も正常に戻っていた。

音も無く起き上がったカヤは、静かに木箱を退かすと、辺りの様子を探った。

物音一つしない。
どうやら砦の兵達は、とっくに退却したらしかった。



隠し部屋から抜け出たカヤは、蒼月を抱きながら、ゆっくりと洞窟を進んだ。

洞窟の中の至る所には、生々しい血痕の跡が残され、血液独特の錆びたような匂いが充満していた。

しかしながら、死体らしい死体は一つも見当たらない。

翠と律は、どうにか命を奪わぬように、と戦っていた。

恐らく砦の兵達は、退却の際にまだ生きている仲間達を、一人残らず連れ帰ったのだろう。



「翠……律……?」

カヤは血で何度も足を滑らせながら、フラフラと歩いた。

やがて襲撃の直前、蒼月と律と三人で眠っていた部屋に辿り付いた。

そこにも人の姿は見当たらず、カヤ達がくるまっていた夜具が乱れた状態で打ち捨てられていた。

それを拾い上げようと身を屈めた時、眩しい光がカヤの眼を刺した。

そちらに目を向ければ、洞窟を抜けた先が白く発光している。

―――――朝、だ。

カヤは導かれるようにして、外に足を向けた。


洞窟を抜けると、相変わらず雨が降っているものの、分厚い雨雲の向こう側で太陽がカヤを照らしていた。

のろのろと辺りを見渡していると、ドドドド……と言う、地響きのような音が聞こえる事に気が付いた。

音のする方へ向かうと、それは崖下に渦巻く濁流が立てる轟音だった。

昨夜は暗くて良く見えなかったが、本当に元があの小川だったのかと信じられなくなるほどの、凄まじい水の量だった。

濁った泥のような水は激しくうねり、何もかをも飲みこむような勢いで下流に向かって流れて行く。



"――――クンリク様が崖から身投げしたそうだ!"

"――――誰かと一緒だったらしい!恐らく翠様だ!"


あの隠し部屋で断片的に聞いた兵の言葉が、頭を駆け巡っていく。


もう駄目だった。分かっていた。
何度否定しても、何度眼を背けても、その事実からは逃れられないだろう。

認めざるを得なかった。


「い、やだ……」

ガクンッ、とその場にへたり込む。


なんて不思議なのだろう。
翠の顔が、こんなにもはっきりと浮かぶのだ。

それなのに身体に掛かる雨が、大切な記憶をも流してしまうようで。


「翠っ……やだよっ……」

笑っていた。
あの人は、最期の時まで笑っていた。

カヤの大好きな笑顔を浮かべて、そして言ったのだ。



「いやぁあぁあぁあぁぁあ!」



―――――必ず生きてくれ、と。