【完】絶えうるなら、琥珀の隙間


「これはあくまで俺の仮説なんだけど」

言葉を失っているカヤに、翠はゆっくりと語り掛ける。

「誰かを慕う事で力が無くなるのは、人間としての一種の防衛本能なんじゃないかと思ってる」

「防衛本能……?」

「そう。俺たち神官は命を削って占わなければいけない宿命にあるけど―――――きっと誰かを愛してしまったその瞬間から、その愛する者のために生きねばならないんだ」

嗚呼、そうかと思った。
それはぞっとするほど哀しく、ぞっとするほど美しい生き方だった。

きっと翠のお母様も、そのまたお母様も、そうだったのだろう。

民のために命を捧げ、いつしか心を通わせ会う誰かと出会った時、ようやくその任から解き放たれ、そうして愛する者と生きるのだ。

残された小さな命の灯を、その誰かのためにそっと灯しながら――――――


「俺は、もしカヤと出会えなかったら、まだ命を削って占いをしていたと思う」

翠の言う通り、仮にまだ彼に力が在ったならば、翠は間違いなく民のために占い続けていただろう。

「そうすれば今頃死んでいたかもしれないし、蒼月と会えすらしなかったかもしれない」

そうだね、と頷いたけれど、涙で声にならなかった。

どうしたって分かってしまうのだ。

こうして翠は確かに生きているのに。
いつものように綺麗に微笑みながら、カヤに触れているのに。

翠が好きだからこそ、カヤには何もかも分かってしまうのだ。

「だから多分、全部今日のためだったんだ」

――――――翠が、残された命の灯を、カヤ達のために吹き消すつもりなのだと。


「……いつの間に、こんな大事になってたんだろうな」

そう言った翠の眼は、驚くほどの愛情で溢れていた。

行きたくない。離したくない。傍に居たい。

その瞳は大声でそう叫んでいるのに、翠はそれを微塵も態度に見せない。

「不思議だよ。二人を命に代えてでも守りたいって思う事に、何の迷いも無いんだ」

こつん、と温かな感触。
翠の額が、カヤの額に優しく触れていた。

それまでカヤを真っすぐに見据えていた大好きな双眸が、しめやかに閉じられる。

「ありがとう。そんな存在に出会えて、俺は本当に幸せだった」

じわり、と眼尻から押し出された涙の綺麗さに、ただただ見惚れていた。

まるで夢のようだった。

翠なんて人間が初めから存在しないようにすら思えてしまう程、儚く美しい。

私の、最初で最後の愛する人。


「……必ず、生きてくれ」


―――――別れの言葉すら透明な賛美となって、零れ落ちて行く。






「行くぞ、律!」

「ああ!」

二人が隠し部屋を飛び出して行った後、すぐに「居たぞ!」と言う声が聞こえてきた。

バタバタバタ!と言う多くの足音が隠し部屋の前を横切り、やがて遠ざかっていく。


カヤは、蒼月を強く強く抱き締めながら、じっと待った。

否、待つと言うよりも、その場から動く事が出来なかったと言う方が正しかった。

身体も頭も、麻痺したようにピクリとも動かない。

時間の感覚すらも失せてしまった。


だから、分からなかった。

「――――――……退却だ!退け!退け―!」

そんな声が遠くの方から響いてきたのは、二人が出て行ってどれほど経った後だったのか。


(……退、却……?)

黒く淀んでいた頭の中に、その言葉が浮かぶ。

(まさか……)

まさか、援軍が来たのだろうか。
だから砦の兵達が退却するのではないだろうか。

そうだ、そうに違いない。
二人はどうにか持ちこたえたのだ!


逸る気持ちに任せ、入口を閉ざしている木箱を退かそうとしたカヤの手は、

「――――……クンリク様が崖から身投げしたそうだ!」

聞こえてきたそんな声と共に、ピタリと止まった。



「――――……誰かと一緒だったらしいっ……恐らく翠様だ!」

「――――……すぐにハヤセミ様に伝えなければ!」


頭が真っ白になって、その言葉の意味を理解するのに、とても時間が掛かった。

(崖から……身投げ……?翠様が一緒だった……?)

何度も何度も反芻して、そしてようやくその意味を受け止めた時、ガクガクと全身が震え出した。

手足が痺れて、途端に息が苦しくなる。

「うっ、そ、だ……」

どうにか息を吸って吐こうとするけれど、乱れた呼吸は戻らない。

カヤは蒼月を抱いている事が出来ず、そのまま地面に崩れ落ちた。